2008年3月アーカイブ

神道祭式では、榊に紙垂(しで)を付けて玉串を作り神前に捧げます。
玉串奉奠(ほうてん)と申します。

玉串奉奠の時、榊を通って祭事の神気がこちらに流れてくるのです。

まことにサカキとは境(サカ)をつなぐ木(キ)であります。
つまり、榊(サカキ)には、あの世とこの世をつなぐ力があるのです。
これを単なる形式と思っているととんでもないことになります。現実にサカキが働きます。

祭事の神気が流れてくるのであればよろしいのですが、下手をするとどういう世界のどういう物が流れて来るやらわかりません。
だから祭事にあたっては祓えが必要となります。

先年、老母の葬儀の際に火葬場へいって驚きました。
棺を炉の中に入れる前に、小さな祀りをするのですが、
私たちの隣では、神官が参列者に玉串奉奠をさせているではありませんか。
その中には子ども達も混じっていました。

火葬場には亡骸を食い物にする魑魅魍魎が雲集しています。
どれほど祓えを厳しくしたところで、そのような所でうかうかと玉串など捧げるものではありません。
まして頑是(がんぜ)無い子供に玉串奉奠をさせるのは危険極まりないことです。

神官のみまさんもしっかりしていただきたいものです。

【参考記事】 → 【玉串】

葛城一言主神社へ参拝に出かけた。
妹・川崎由紀子の結婚の祀りをを一言主神社で行いたいと思い、宮司さんにその許可を得るためである。
この婚礼の祀りは、火継(ほつぎ)祀りをかねる。

近鉄阿倍野から、尺土で乗り換え、近鉄御所駅で降りる。
バスで、寺田橋まで行き、そこから北へ入る道をゆらゆらと歩いた。

道筋には、無人のハッサク売り場があり、一網5個が100円。
料金は籠に入れる。田舎だねえー。

神社のこじんまりとした神庭に「乳銀杏」の神木が立っている。
宮司さんに許可を得て、この神木の下を婚礼の祭場と決した。

今回の婚礼は、川崎家に婿養子を取る事になり、結婚する両人のタマ結びのみならず川崎家の火継ぎ祀りをもかねることになる。

結婚というものが個人と個人の結びつきに過ぎないという、情けない勘違いが大いにはびこっている世相であるが、妹・由紀子は相手の建君ともども、よく婿養子を取ることの意味を理解してくれた。

【参考記事】 
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(1)
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(2)
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(3)
* 人間誕生の秘儀(父母産土)

少名彦那(すくなひこな)大神と大穴牟遅(おほあなむち)大神の神座が、産土の神座には必ず備えられていると申しました。

大穴牟遅さまがあの世のミタマを支配なさいます。
それゆえ、大穴牟遅大神を、幽界(かくりよ)の司の神とお呼び申し上げることがあります。

少名彦那さまは、あの世この世を問わず、霊魂すべての戸籍にあたる霊籍簿を一手に掌握なさっていらっしゃる。
それ故、少名彦那大神を別名、大司命神(だいしめいしん)とお呼び申し上げることがあります。

大司命神・少名彦那大神と 幽界(かくりよ)の司の神・大穴牟遅大神は、しばしば両面合わせ鏡のようになってお働きになります。

昨日は春分の日(春の彼岸の中日)。
春分の日のみたま祀りの首座にお就き遊ばすのは、少名彦那大神であり、

秋分の日(秋の彼岸の中日)のみたま祀りに首座にお着き遊ばすのは、大穴牟遅大神でございます。

少名彦那大神を、春告げの大神 と申し上げ、
大穴牟遅大神を、秋をもたらしの大神 と申し上げるのはそういうわけです。

たとえ神社の由緒書には記載がなくとも、産土の神座には、この少名彦那大神と大穴牟遅大神の神座が必ず備えられているということ、日本人の常識にしたい物ですね。

昨日の日記で「産土神を呼びなさい」と記しました。
人間死後の行く先を示して下さるのは産土神と申し上げてよろしいのですが、そこの所をもう少し詳しく申しますと、

  あの世のミタマ達を支配なさるのは大穴牟遅(おほあなむち)大神

であります。

○○さんのミタマ祀りをする際に、はい、○○さんいらっしゃい、と行ったところで、当の○○さんがそれに答えてすぐにやってこられるとは限りません。眠りこけている場合もあり、身動き取れぬ状況にある場合もあります。

この世ではそんなことはお構いなしにみたま祀りをすすめますと、そのみたま祀りは空転しますね。
そいうことが、実はよくあることでありまして、みたま祀りがこの世の人々の自己満足で終わってしまうのです。

そういう際に、大穴牟遅(おほあなむち)大神をお呼びして、大穴牟遅大神のお力によって、○○さんを祀りの庭に呼ぶのです。

そうすると、あの世のミタマを支配なさる大穴牟遅さまの神力によって、そのミタマが祀りの庭に呼び出されるわけ。

全国各地の産土の神座には、この大穴牟遅大神の神座が、少名彦那大神の神座と共に備えられているのです。
ですから、産土さまーといって手を合わせると、その祈りは大穴牟遅さまにも通ずるのです。

これが、人間死後の世界を産土様が司っておられるということの真相です。

彼岸が近づくとあの世のミタマ達がいろいろと立ち騒ぐようになります。
自分の行く先を知らずに迷い、この世の人間にすがるというミタマもいます。
その中には、生前熱心にある教団を信仰していたのですが、いざ死んで見ると全然話が違うというのでとまどっているミタマたちもいる。

そういうミタマ達には、産土神のことを教えてあげるとよいでしょう。

人間は産まれる際に、産土神が両親との縁を結んでくださるのですが、死後の導きをなさるのも、本来は産土神のお仕事です。
そこへ人間が宗教というものを持ち出して、宗教のやり方で死後の世界を渡ろうとすると、神様方は手を引かれます。

あなたが自分でやりたけりゃ、どうぞお好きになさいませ・・・

という訳ですね。

教団のエネルギーが強い間は、まだそのエネルギーであの世を渡世も可能でしょうが、宗教教団は所詮人間の作り物です。
人間の作り物は、はやり廃(すた)りがありまして、いつしか教団も変貌していき、エネルギーが枯れてくることがあるのです。

そうなると、その教団の教えに染まってなくなった人たちは、二階に上って梯子をはずされたようなもの。
話が違うとさ迷うことになりますね。

そういうミタマ達よーー、よーっく聞いておきなさい!

自分の力で、自分の産土神を呼びなさい。そして産土神の導きの手に乗りなさい。

産土の神様、どうか私の行くべき所をお示し下さい、と自分でお願いするのです。

人に祭りをしてもらって、人の力で救われようとは思いなさんな!

【参考記事】
 【6】産土神の霊験記(1)産土神はさ迷える霊魂の行き先を示す
 【7】産土神の霊験記(2)産土参拝と人間神力で霊群を鎮定

昨日(3/17)は、春の彼岸の入りの日。
この日から七日間を彼岸といい、真ん中の日(今年は3/20)を彼岸の中日(ちゅうにち)という。

春の彼岸の中日が、春分の日であり、
秋の彼岸の中日が、秋分の日である。

彼岸とは、三途の川を境にして向こう岸の側、つまりあの世のことであり、対してこちら側を此岸(しがん)という。

彼岸にいる先祖のみたまと、此岸にいる私たちが、一緒になって行うのが「みたま祀り」である。

春分、秋分は、太陽と地球との位置関係上、日光が深く地球にそそがれる。
その日の光を使って、彼岸を調え、此岸を調えるという点に、春分秋分のみたま祀りの意義がある。

昨日(3/16)は、家内の妹が結婚を控えての、親族顔合わせの食事会があった。
明治の森の中、箕面の滝の手前にある音羽山荘という料理屋での会食であった。

床の間に産霊(むすび)の男神女神の図を飾り、1つの器に榊2本を立てて、両家の氏神のヨリシロとして、会食歓談。

人間の世界の動きに合わせて、氏神の世界で産霊(むすび)の祀りが行われたようである。

結婚というものが、個人と個人のつながりに過ぎないというような誤解がまかり通る世の中であり、その世相を受けて氏神とのつながりがはなはだ希薄な人々があまりに多い。
極端な場合は、全く切れていると見受けられる場合もある。

真実の人間の生き方を求めるならば、この世とあの世がつながっていて、常に連動して動いていると云うことを忘れてはならない。
一個の人間が、存分にその力を発揮するためには、氏神(先祖)とのつながりを肉体の血球の中にいただかねばならない。

男女が結婚する。
それはただ一人の男と一人の女のむすびつきに過ぎないと考えるのは、甚だ大きな誤りである。

【参考記事】
父母の力(血の球の力)
 力(チカラ)は血から(1)
 チカラ)は血から(2)
 血球を造る神、流す神

月も知ってる おいらの・ ・ ・

歌謡曲には案外、日本人の心を何気なく表した歌詞が多い。
ご存知村田英雄の「王将」の一番。

  吹けば飛ぶような将棋の駒に 
  賭けた命を笑わば笑え 
  うまれ浪速(なにわ)の八百八橋(はっぴゃくやばし)
  月も知ってるおいらの意気地(いきじ)
   (作詞・西條八十、作曲・船村徹)

そう、お月さんは知ってらっしゃいます。
だって、人間の霊魂は、月の神「月読大神(つきよみのおおみかみ)」から戴くのですから。
霊魂の更に奥に生命がある。生命を下さるのは、日の神「天照大神」(あまてらすおおみかみ)。
肉体は、「素戔嗚大神」(すさのおのおおみかみ)から戴来ます。
天照大神、月読大神、素戔嗚大神を三貴神として貴ぶのは当然ですね。

お月様に心を通わせるというのは、単なる風流の問題だけではないのです。間存在の根幹に関わる問題なのです。

歌謡曲というのは、バカにできませんね。
普通の日本人の感覚の中に、キラリと光る真実が籠もるものです。

  星は何でも知っている
  ゆうべあの子が泣いたのも・・・
  (唄:平尾昌章、作詞:水島哲、作曲:津々美洋)

そう、星の動きが人間の動きに重なるのですから、星は何でも知っていると言えますね。
星の動きから人間の運命を推し量るのが占星術、四柱推命です。

人はそれぞれ目に見えない糸で星の世界とつながっているのです。
時には星空を仰いで、お星様と語らいませんか。

全天の星の精気を集める神力を持つのが、天皇の御位を象徴する三種の神器の一つ、アメノムラクモノミツルギ(草薙のツルギ)です。
天皇存在を戴く日本列島に生まれたことを有り難く感じるのではありませんか。

人はそれぞれ自分の世界を持っている。
たとえ夫婦といえども、夫には夫の世界があり、妻には妻の世界がある。
これは夫婦仲の善し悪しに関わりはない。

親しい友人がいて、彼とは楽しく世間話が出来る。
しかし、そこに奥さんが入るともう話にならない。
アイツは良いヤツだが、アイツの奥さんはどうも苦手で・・・ということになる。

逆に無愛想な旦那だが、奥方の柔らかさに引かれて人が集まるということもある。
これは皆、人それぞれが一つの世界を持っているという証(あかし)である。

人は、一人(いちにん)一世界の主宰者である.

人生とは己の世界を己で作り上げてゆくことにほかならない。

何事によらず、ものごとを作り上げるというのはご苦労なことであるが、その苦労が己の世界を作り上げる為のものであると知れば、苦労もまた楽しとなる。
例えば、結婚というような人生の一大事は、己の世界形成に計り知れない影響を与える。
したがって、必死になる。つまり、その人の魂の本質が吹き出してくる。同時に周りもいろいろと吹き出してくる。あの人はああせよと言い、この人はこうせよと言う。
それをうまく調整してゆくというのも己の世界を作り上げる楽しみと心得れば、なかなかに実のあるゲームが楽しめる。

一人(いちにん)一世界の主宰者たることを目指し、深める。
それが神道でいう鎮魂にほかならない。

近所で家の建て替えをしている。
古い家の取り壊しから始まって、地均し、基礎工事、棟上げ、と順調にすすんでいるのだが、一向に神祀りをする気配がない。

地鎮祭、上棟祭、落成祭などの祭祀が完全に無視されている。こいう祭祀が、単なる形式と勘違いしているのであろうか。

人間が建てる家というものは、単なる物質の集合体ではない。
単なる物質の集合体にしてはならない。
人間という存在は、そんなに安っぽいものではない。

家が、そこに住む人間と共に生きて働くように、家のミタマの霊体形成をしていただき、そのミタマが家に重なるという祭祀が落成祭である。それに先だって、その土地を人間の住む住居を建てる土地として使わせて戴くという神許を産土神から得る必要がある。それが地鎮祭である。

地鎮祭も落成祭も、厳然たる内実があってのことである。
その祭祀を改めて日本人の常識として回復しなければならない。

「家の神様、土地の神様」については、トランスペース研究所のメール会員ページにミニ講演の音声ファイルをアップしてある。

家が、そこに住む人間と共に生きて働くように、家のミタマの霊体形成をしていただき、そのミタマが家に重なるという祭祀が落成祭である。それに先だって、その土地を人間の住む住居を建てる土地として使わせて戴くという神許を産土神から得る必要がある。それが地鎮祭である。

神祭りをする際に榊等のヨリシロを立て、そこに神霊の降臨をお願いする。
神霊は分魂をあらわしてその場に降臨されるのだが、直接ヨリシロに降臨するのではない。

神主の肉体を通過してヨリシロに降臨するという鉄則がある。
神主の肉体を流れる血球にまず寄りつき、そこから榊などのヨリシロに移るのである。

その神主の血球が、悪食、悪想念でドロドロに濁っていたら、神霊の光臨はありえない。
だからこそ、神主たるもの、血球を清らかに整え、精の流れを整える必要がある。

神祀りのチカラは血から湧いてくると知るべきである。

昨日の日記に「血の球の響きが人格を形成している」と述べた。
 → 父母の力(血の球の力) 昌原気ゆる日記

更に言うと、人間のチカラは「血から」響きでる。

体中を流れる血液、その血球には、肉体を支える力とともに、先祖につながる精の力即ち氏神の力も秘められている。(火継祭りの記事参照)

先祖のみたま祭りを行うのも、血球の流れを整えて、精の流れを整えて、生きる力を逞しく我が身に収める為である。

「いや、うちの先祖はもう迷っていませんので、祭りの必要はありません」というのは考え違いである。
立派な先祖であれば尚更、この世に生きる子孫が精の流れを整えて、血球から響き出る力を充実する為にこそ、みたま祭りを行うべきであろう。

血からチカラが湧いてくる。
そのチカラを正しく祭ることが、先祖のみたま祭りとなる。

ある家の火継(ほつぎ)祭りをお仕えした。
火継を受けるお嬢さんの実の母親に神主となって戴いた。

神祀りは筋道が通らないと成就しない。なかなかに難しい点もある。
今まで神祀りなど経験のない母親に果たして火継祭りの神主が勤まるのかと思われるかも知れないが、さにあらず。
実の父親、実の母親が火継祭りの最高の神主となれるのである。

父に父の位があり、父の力がある。
母に母の位があり、母の力がある。

その位には、他の何者にも代え難い絶大な力がある。
火継を受ける子供の肉体を流れる血球が、両親の血球と響き合うからである。

先祖のみたま祭りにおいても、その一族の血の流れを受けている人が、その血球をもって参加することがとても重要なこととなる。
血球の響きが人格を形成していることをしるべきである。

血球を作る神をクラオカミと申し上げ、血球を流す神をクラミツハと申し上げます。
この両神を火継祭りにお呼びするのはそういうわけです。

クラオカミは京都貴船神社に水の神として祀られていますが、その真相・深層は、玉造りの根元紳であり、血の球だけではなく、ミタマ(魂)もこの神により造られます。
クラオカミもクラミツハもその本宮を北斗七星においていらっしゃる。

血流ひとつ取ってみても、星と深く関わっているのです。

人間存在がどれほど深く日月星辰とかかわっていることか。
心を大きく深く、日月星辰と結びたいものです。

今年は我が一族(黄氏)の族譜の改訂の歳である。
前回の改訂は25年前で、一世代に一度の改訂を繰り返している。

その間に随分と新たな子孫たちが増えた。
それをまとめて韓国の本家筋へ送る。

今回は男の子だけではなく、女の子も記載するという編集方針だとか。
ただその女の子がお嫁に行って子供を産んだ場合は、その子供は黄氏の族譜には入れない。

その子供はお嫁にいった家のこどもだから当然だ。
つまり黄氏の精(せい)を承けているものだけが族譜に載る訳である。

精については、この日記の「火継祭り1~3」を参照されたい。

* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(1)
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(2)
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(3)

店舗開業の祭り

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甥が理容店を開業するので、開業祭を執り行った。
本来ならば、地鎮祭から上棟祭を経て落成祭という段取りになるのだが、コンクリートで固めた店舗では土を掘り返しての祭りができない。
止むを得ず、甥夫婦に21日間の産土参拝を勧め、大床(おおとこ)鎮めの祭り(地鎮祭)の足らざるを産土神におぎなって戴くこととした。

甥夫婦の真心が通じたと見えて、満願の日には産土神社の宮司さんから普段は使わぬ井戸水を分けて戴き祭りに用いる事ができた。

その店舗に屋船久久能知(ヤフネククヌチ)の神が霊体形成して重なってくださり、以後、店が一つの生き物として活躍してゆく。

そのような祭りをお仕えすることができるのも産土神の御神徳、日本列島の御神徳による所はなはだ大である。

火継ぎする精(せい)は霊魂ではない。
肉体があり霊魂があるということは良く知られているが、この精の知識が宗教者といえどもあまりに乏しい。

憑依現象ということがある。
この宇宙には何とも名状しがたい生き物がいて、それが人間にとりつくことがある。

とりついた化け物は人間の何を食らうのか。

体を食らうのでもなく、霊魂を食らうのでもない。
精を食らうのである。

そこから、肉体でもなく、霊魂でもない、精の存在が感覚できるであろう。

人は父親から精を承け、母親から体を承けて、この世に人間として誕生してくる。
この精の流れが、姓の流れである。

養子に入った婿殿は、そのままでは、その一族の精を承けていない。
つまり、精の流れが断絶している。
それを血筋の乱れという。

そこで精を受け継ぐという祭り、すなわち火継ぎ祭りが必要となる。

【参考記事】 
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(1)
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(2)
* 人間誕生の秘儀(父母産土)

山田家に子供が花子さんしかいないとする。
そこで海原太郎君を婿養子に取るとする。

婿に入った太郎君は山田太郎と名乗る。
しかし、太郎君の肉体に重なって存在する精は依然として海原家の精であって、山田家の精ではない。

そこで太郎君に真実、山田の精を戴くという祭りが必要となる。
それが火継ぎ(ほつぎ)祭りである。

火継ぎ祭によって、太郎君に山田の精が重なる。
子供ができると、父親太郎君が火継ぎで承けた山田の精がその子に伝わる。

この火継ぎ祭りをしないとどうなるか。

一家に女の子しかいないという場合に婿養子を取るが、その際には火継ぎ(ほつぎ)祭りをするとよい。

何故火継ぎ祭りが必要なのか。
それを理解するには人間という存在がどのようにして形成されるのかと言うことを知らねばならない。

何度かに分けて説明しよう。

人間が肉体形成してこの世に生まれるには、父と母と産土の3つの力が結ばねばならない。

そのうち、父からは精(せい)を承け、母からは体(たい)を授けられる。精子と卵子が結合して、母胎の中で十月十日を経るうちに、体が育つとともに精も育つ。

この精が問題。
体は目に見えるので良く分かる。精は目に見えないのだが、確かに存在する。
この精の流れが姓の流れであり、その精の流れ(姓の流れ)を守護するのが氏神である。(翌日に続く)

【参考記事】 
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(2)
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(3)
* 人間誕生の秘儀(父母産土)

三月様よろしく

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今日は三月一日。
神まつりする人たちは、毎月一日には、その月を迎える祭りを行います。

神祀りなど関係ないというお家でも、昔は月の初めに赤飯を炊くという家も結構ありました。

日本人の感覚の中には、それぞれの月を迎えるという「祭り心」が奥底で響いているのですね。

昨日(2/29)は「二月さんありがとうございました。いただきます」といってご飯を戴きました。

今日は、「三月さんこんにちわ、どうぞよろしく。いただきます。」とでも申し上げて食事をされたらいかがでしょうか。
それも、小さな祭りですね。

そういうリズムを生活に取り入れることによって、子供の心が育てられるのです。

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