2009年1月アーカイブ

店舗開業を控えた人が、事業の繁栄を祈って神社参拝を思い立ちました。

何か事があると人間は神様を想うようで、自分の店を開業ということになった人も、何やら神参りをしたくなったと見えます。
そこで彼は、遠くの有名神社へ参拝しようとしました。有名で、参拝者が多数集まってにぎわっているから、御陰もたっぷり戴けると思ったのでしょう。

ところが、これが世間一般の人々の良くやる間違いと言わねばなりません。
自分の住んでいる土地の産土の神をさしおいて、遠くの有名神社へ参るのは、筋違いであります。それでは足下が固められません。

日本全国、どの町、どの村へ行っても神社が置かれ、その土地の産土の神が祀られています。
人間の都合で祀られている御神名はどうであっても、産土神社として働きが生きているのであれば、そこには産土の神座(かみくら)が置かれています。

その土地に住む人々は、何を置いてもその産土の神をこそ礼拝申し上げるべきであります。

土地に住むということは、その土地と縁を結んでいると言うことです。
その土地の産土の神と縁を結んでいるということです。

これをないがしろにして、遠くの立派な神社を貴ぶというのは、本末転倒であると知るべきでしょう。

初詣もまたしかり。
まずは地元の産土神社にご挨拶を済ませてから、縁のある遠くの有名神社を訪れるのが筋目というものでしょう。

【参考記事】 初詣は先ず産土神社へ

知人が店を開業することになった。
改装工事を始めるに当たり、夫婦そろって工事担当者を伴い、ご近所に騒音その他のご迷惑をおかけするについて挨拶回りをするという。

なかなか感心な気遣いである。

しかし、忘れてならないのは、ご近所の皆さんに気遣う如く、その土地の産土(うぶすな)の神に気遣うべきであるということである。

人間は大地の上で生活している。
その大地ことごとく、さらには大地の上で生活している人間の生活全般を、産土の神が管轄し給うのである。

拙著『ありがとう日本アップダウン構造』の推薦記事が月刊波動2月号に掲載された。
「アップダウン構造」が徐々に人々の間で広がりつつあるのはとてもうれしい。
このアップダウン構造とは、日本人が無意識のうちに神々と」共存しているということを、論理的に解明するためのキーワードである。

アップダウン的生き方を表して、目に見える人間および目に見えない神々諸霊と共に生きてゆくのが日本人の行き方である。

目に見えない神々諸霊あまたいらっしゃる中で、人間にとってもっとも身近でお働き下さる神々のひとつとして、産土の神がいらっしゃることを忘れてはならない。

とりわけ、家の改築や店舗の改装などのような節目には、産土の神に対する気遣いをかかさぬことが肝要である。

改装工事を始めるという夫婦に産土の神への礼儀を説いたところ、夫婦そろって産土神社に参拝するとのこと。

このようなこと、日本人の常識としたいものですね。

【参考記事】初詣は先ず産土神社へ

この間の満月近くの夜のこと、幼い女の子が月に気付いて声を挙げた。

「あ、お月さんだ、お父さん、お月さん、お月さん・・・」

ところが、一緒に歩いていた父親は、返事もしない。

オイオイ、一緒にお月さんの美しさに驚いてあげろよ。

子どもの心にお日様、お月様、お星様を深く住まわせてあげたいものです。
日月星と心を通わせるということは、単なる風流ではなく、うんと深い意味があるんですよ。
月の神は霊魂の根源神。

昔から、日本人はお月様のことを、ノンノ様と申し上げて、親しんできました。
また、月を歌った和歌、俳句、演歌、歌謡曲等は無数にあって数え上げることすらできません。

そういうお月様に対して、子供が新鮮な感受性を働かせているのに、大人が無感覚では、子供の感性もしぼんでしまいます。

せめて毎月の満月には、お月様に団子でもお供えして、お月様と心を通わせましょう。それが子供の心を育てます。

昨日(4/9)、生駒市の稲蔵神社に日垣宮主師をお迎えして、稲蔵神界新生の戸を開き奉る祭祀を行った。

祭祀に先立ち、宮主師の指示により、拝殿の右横に流れる水流の掃除をした。
丘を伝って流れる水が小さな溜まりを作っているのだが、その溜まりの中にヘドロが積もって悪臭を発していた。

そのヘドロを取り除くと、にわかに水流が益して、せせらぎの音を立てだした。
この水は、今までどこに眠っていたのか。

お水さんも流れ出したくて仕方がなかったに違いないのだが、ヘドロが積もっている状態では、流れるに流れない。やむなくチョロチョロと心細い流れをつないでいるに過ぎなかったのだが、さわやかに清掃した途端に待っていたように水流が増大した。そして、これまで聞こえなかった水音をたてる。

水というのも確かに生きていると実感出来る一事であった。
(注記:これは2004年4月10日の記事)

生駒の稲蔵神社にて日垣宮主師の祭りに参加させて戴いた。
(2004年4月9日のこと。)

拝殿前に塩水を入れた桶を置き、その中に清水をいれたガラスコップを入れる。
祭事が始まると、その清水から天空に柱が立ち上り、オリオン星(水の神座)に結ぶ。
オリオン星から、地球全土の産土神座に一粒ずつの水滴が配られる。

その水滴の中には、ヤマト心の核心が籠められている。
地球全土の民族神が、其れを戴いて、真実おのおのの民族振りを発揮する。

稲蔵は、イザナギ・イザナミの創造神力を水に現す神座でもある。
そしてオリオン星には、膨大なる水が存在することが近年の天文学者の研究で判明している。

摩耶山の祭り

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早朝、摩耶山穂高湖にて神仙界に向けての祭事。

神戸の六甲山系に摩耶山があり、その頂上に穂高湖がある。
この穂高湖に、全世界の神仙界と神龍界を統御する一大コントロールセンターがある。
その神々には、龍神系の憑依霊の暗躍を治めるに大いに力を添えて戴いたことが幾度かある。

早春とはいえ山中の寒風はまだ身を凍らせる。顎が凍って祝詞の声が出しづらかった。

この宇宙は人間界のみならず、無数の世界の重なりがあり、それら世界の相互作用で人間世界のあり方が決まる。この祭りも、人間世界と整える基礎工事である。

米、塩、水を供えて神祭りをする。幼い子がそれをみて言った。
神様は生のお米を食べるの?

お供えの素饌(そせん、米塩水酒)や五穀は神様がお食べになるのではない。
米の力、塩の力、水の力を使うのである。

一粒の米には大地の力、水の力、日の力、月の力、星の力が凝縮されている。
その力を使って祭りをするために、素饌をお供えするのである。

その他のお供えをミケツという。
ミケツも同様に、海のものを供えて海の力を祭りに用いる。

山のものを供えて山の力を祭りに用いる。そのためのお供えである。

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神道や神社の古い伝承は尊重すべきですが、同時に新しい時代の息吹を吹き込むことも忘れてはなりません。 

今の時代を神道の立場から一言で表現すれば、「太陽の新時代」と言えます。

月の光を頼りにしていた時代は終わり、太陽が高々と昇りますと、今まで月明かりでは見えなかったものまで、ハッキリとみえるようになります。 

その立場から、神道や神社、大和心について書き綴りたいと思います。

トランスペース研究所のサイトにようやく「神道と太陽の新時代」の息吹をお伝えするページができました。 まずは、時代背景から書き始めました。ご覧下されば幸いです。

→ [1] 太陽の新時代(トランスペースの理念)
→ [2] 人間理性成人祭
→ [5] 産土神社の探し方

とんど焼きを左義長(さぎちょう)焼きとも言いますね。
今、お年寄りの間でゲートボールが盛んですが、昔似たような遊びがありました。

木槌(きづち)を長くしたような棒で木製の球を撞いて遊んだのです。その棒を毬杖(ぎっちょう)と呼んでいました。

1月15日小正月になると、毬杖(ぎっちょう)を三本組み合わせ、そこへ正月の飾り物などを載せて火で燃やしたことから、三毬杖(さんぎっちょう)焼きと言われ、左義長(さぎちょう)焼きに転化したとか。

確かに小槌の形をした毬杖(ぎっちょう)でしたら、地面に立てて三本を組みやすいですね。

それにしても、ゲートボールに古(いにしえ)の毬杖(ぎっちょう)遊びを重ね合わせると、なかなかにゆかしい遊びですね。
毬杖にうつつを抜かす人を指して「毬杖冠者(ぎっちょうかじゃ)」と称したとか。
よろしいじゃございませんか。

付記:「尊(とう)と焼き」から「とんど焼き」となったという説があり、「どんど焼き」とも言う。私の生地(大阪)では、「とんと焼き」と言ってます。

和の暮らしが楽しい!おうち歳時記

トランスペース研究所のサイトに、和語と伝統行事のページを設けました
解説に新時代の息吹をこもらせたいと思います。

例えば、「祭り」の解説に

  肉体人間が祭りをおこなうことは不可能です

と記しました。
えっ? 人間は祭りができないの?

詳しくは解説をご覧下さい。
すこしずつ書き加えて行きます。

 → 和語と伝統行事

天照大神は、日本人なら小学生でも知っている神様ですね。
太陽の女神さまであって、伊勢神宮に祀られていると。

その真実はといいますと、
太陽それ自体は、天照大神ではなく、神美産霊(かみむすび)大神です。
神美産霊(かみむすび)大神のいわば御肉体が、太陽であると申せましょう。

また、太陽神界は生命を生み出す神界であり、天照大神は、その太陽神界の斎主(いわいぬし)の神つまり、神主さんであります。

天照大神が太陽神界で生命をお祀りしてくださるから、私たちは勿論、生きとし生けるものすべてが生命を保ち続けることができるのです。さらには、神々の生命もまた、天照大神の生命をうけて千早振りを起こされます。

天照大神」(神道・日本文化キーワード解説)をアップしました。

天照大神は皇室の祖神に限らず、
生命の根源神であることを、日本人なら誰でも承知して戴きたいと思います。

→ 天照大神(その1)
→ 天照大神(その2)

塩にはものの穢れを浄める力があるのですが、
日光にも穢れを浄める力があります。

では、その違いはなんでしょうか。

形あるものを浄めるには、塩の力がよく効きます。

形のないもの、気持ちや心持ちを浄めるのは、日光がよろしいのです。

魚など、そのままでは腐ってしまうものも、太陽の光をたっぷり浴びせると、干物になって、長期保存がきくようになります。

塩= シホ = シ(水)+ ホ(火)

日の力の証ですね

ただし、日光の力を無形のものの浄めに限定してはいけません。
気分がくさくさして滅入る時には、
外に出て、芝生の上に寝転がって太陽の光を浴びるとよいのです。

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葬式に出ると、会葬御礼をもらいますね。
そこに小さな塩の包みが付いています。

自宅に戻ったら、その塩で自分を浄めて家に入ります。

これは日本人でしたら何の不思議もなく行っています。

しかし、スコットランドの友人に、土地の祀りをする際に地中に塩の柱を立てると言いましたら、なぜ塩を使うのか、とても不思議がられました。
ミネラルが土に良い影響を与えるのか、などと質問されました。

塩に浄めの力があるという日本人の常識は通らないのです。

塩= シホ = シ(水)+ ホ(火)
塩には水の力と日の力が凝縮されています。

塩というものが、ものを浄める力があるということを、日常の生活で納得している日本人は、やはりマツリの民、祭祀民族ですね。

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塩(シホ)のシは水のこと。
ホは火のこと。ホノホ(炎)といいますね。

シホは、いわば水が燃えたモノでありまして、水の力と火の力が凝縮されています。

水で浄める。
火で浄める。
水火の力を凝縮した塩で浄める。

それぞれの働きがあるわけです。

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「馬子にも衣装」というように、衣服には力があります。
女性がきりっと和服を着ると、見違えるほど立派に見えますね。
衣服を単なるモノだと考えてはなりません。

神主が狩衣(かりぎぬ)や斎服(さいふく)を身につけると、それだけで厳かに見えます。
その衣服の力で祭りができるのです。
衣服のエネルギーが人間を引き立ててくれるのです。

また、祭事でもたらされる神気も衣服に蓄えられます。
だから、祭事に列席する際には、とびっきりの一張羅をきることです。

以前、甥っ子が結婚することになり、魂(タマ)むすびをしてあげることになりました。やってきた甥っ子を見ると、何と、ジーパンにセーター姿。

おいおい、一生に一度という大事な魂(タマ)むすびの神気をジーパンとセーターにこもらせるのか。

ちょっぴり苦言を呈しました。

神気は衣服に蓄えられます。

だから、神修者は、白衣を着用して、どのような色の神気であろうと、そのままに頂戴するという姿勢を示すのです。

このように衣服には現実に力があります。
しかし、よれよれの衣服を着ると、逆に己のエネルギーが衣服に食われるということも心得ておくべきでしょう。

鏡にものが映るのは、ガラスに影をつけるからです。
透明のガラスに光を当てても、通り過ぎるだけで形を映すことは出来ません。

影が大事、裏が大事。
小切手も裏書きされて初めて効力を発揮する。
形を現すのは、影の力なのです。
更に言えば暗黒が大事です。

「光と影」というと、光が貴いもので影は忌むべきものと考えられがちですが、違いますね。
ものごとが生まれる際には暗黒の世界を通ってこなければならないんです。

光だけでは形が取れません。
暗黒世界の働きを受けて現実が形成されるのです。

それが「おかげさまで」ですね。

Yahooで「鏡開き」を検索すると、トップあたりに出てくるある酒造会社の説明に、
 「鏡」は円満を、「開く」は末広がりを意味します
とある。

鏡を円満の象徴とすることを、一概にウソとも言い切れませんが、その程度の感覚でとどまっていては、ヤマト民族の真価が発揮されません。

鏡は神様を映すモノ。映るということは、表れるということです。

ヤタの鏡は天照大神を映す鏡、つまり、天照大神がそこから表れてこられる鏡のこと。

大年の神を映して新年の祭りをするのに用いるのが鏡餅です。
それを円満の象徴程度のことで丸く納めてしまっては、祭祀民族の面目が立たないでしょう。

一月十一日は「鏡開き」の日。
この日に鏡餅を神棚や床の間から下ろします。

なぜ鏡の餅というのか?

この世の鏡は、人の姿を映しますが、神様の世界の鏡には、神様が映ります。

その鏡になぞらえて餅を神前あるいは床の間にお供えし、大年の神様のヨリシロ(受信装置)とするわけ。
つまり、神様を映す鏡ですね。

だから、やっぱり、真空パックはよろしくないというのです。

ところで、Yahooで「鏡開き」を検索して見てください。トップあたりに出てくる酒造会社の説明はいけませんなあ。
昨日の日記「鏡開きのウソ本当」をご覧ください。

鏡餅を二つ重ねて大年(おおとし)の神様のよりしろ(受信装置)とすることを考えると、最近はやりの真空パックの鏡餅は、あれでよいのでしょうかね。

カビが生えるから面倒だとか、極端な例では、去年一昨年(おととし)の真空パックを飾って安くついたと考えている家もある。
新しい年の新生の運命を大年の神様が年魂(としたま)として分けてくださるのに、いや私は昨年の古い運命で結構でございます、私は一昨年のホコリまみれの運命でよろしゅうございます、というおつもりか。


面倒くさいなどと言わずに、せめて一年の初めくらいは、生々の神気を受けるにふさわしい形をとってはどうであろうか。

餅にカビが生える、それを削って餅を割る。
それもまた楽しいことではありませんか。

正月に鏡餅を飾ります。
餅を二つ重ねて、神棚や床の間、その他正常な所へお供えします。

餅の上に、橙やウラジロ、干し柿等を載せるお家も多いでしょう。

これは、二重ねにした餅に意味がありまして、この餅が、大年の神様の依り代(よりしろ)となるのです。

大年の神様、どうぞ我が家にもおいで下さいまして、新年の新しい運気を私たちにもおわけ下さいませ、という心を表しての鏡餅ふた重ねです。

お客様がお出でになりますと、座布団を差し上げますでしょう。

まあ、いわば、大年の神様に差し上げる座布団が、鏡餅なんです。

その座布団、美しく豊かに整えたい物ですね。

お年玉の由来をご存知ですか?
正月に注連(しめ)縄を飾って家で祭りをすると言いました(前日の記事参照)。

その祭りとは、大年(おおとし)の神様をお迎えする祭りです。

平成十八年の大年の神様が役目を終えて退陣なさいますと、代わって平成十九年の大年の神様が平成十九年の運命を携えてお生まれになります。
その大年の神様の神魂(みたま)を分けて戴くのが、大年魂(おおとしたま)、つまりお年玉です。

大年の神様から大年魂を戴いて、この一年を力強く生きて生きましょうというのが、お年玉に籠められた民族の心です。

そう考えると、お年玉は子どもだけではなく、大人だって戴きたいものですね。
その戴き方は? → 明日の日記

今の日本人の標準的な歩き方は、右手と左足、左手と右足をクロスして連動させるという歩き方ですね。これはせいぜい100年あまりの歴史しかないということをご存知でしたか。

明治以前の日本人の普通の歩き方は、日本武道や芸道に見られる歩き方、つまりナンバ歩きであったと思われます。

ナンバ歩きでは、右足と右手(というよりは右肩)が同時に、左足と左肩が同時に出るのです。
これは奇妙な身のこなしでは決してありません。
古武道の動きや芸道の動きは基本的にナンバ歩きなのです。

明治になって学校教育や軍隊教育で西洋流の行進方法を取り入れたため、以後の日本人の身振りが西洋流に標準化されたといういきさつがあるのです。

昌原筆録に「ナンバ歩きの勧め(日本武道の身振り)」および「ナンバ歩きの日常稽古法」をアップしました。お読み下さい。

→ 昌原筆録4 ナンバ歩きの勧め(日本武道の身振り)
→ 昌原筆録5 ナンバ歩きの日常稽古法

正月を迎える準備として、注連(しめ)飾りを玄関に飾る家は今でも多い。
この意味をご存知であろうか。
注連飾りは、魔よけである。

新年を迎えるに当たって、家の玄関に注連縄を飾るということは、単なる装飾的意味ではなく、その家で新年を迎える祭りを行いますという心がけを表してのことである。

魔よけを張り巡らして結界をつくり、その結界の中で、新年を迎える祭りを行うという、日本人の心を表して、注連飾りである。

祭祀民族・日本人の伝統は、マツリと切り離すことは出来ない。

天皇陛下は平成21年(2009年)の年頭にあたってご感想を発表された。
世界的な金融危機による日本の経済情勢の悪化については、

多くの人々が困難な状況におかれていることに心が痛みます。 国民の英知を結集し、人々の絆(きずな)を大切にしてお互いに助け合うことによって、 この困難を乗り越えることを願っています

と述べられた。

不況不況と掛け声上げてさっさと「派遣切り」に邁進している上場企業の経営者たちは、このお言葉をよくよく噛みしめて戴きたい。

人々の絆を大切にしてお互いに助け合うことによって この困難を乗り越える

ということを、日本の企業はこれまでやってきたはずではないか。

企業の内部留保がまだまだあるうちに、非正規社員を切り捨てて、企業の安泰を図ろうとするのは、これまでの日本的企業の在り方から逸脱するアメリカ的手法と言わざるを得ない。
日本はいつからこのような国になってしまったのだろうか。

不況の時には、従業員も経営者も、一丸となって自分たちの給料を減らしてでも一緒にこらえて頑張ってきたではないか。

ところが昨今、構造改革とやらで、アメリカ流の資本主義、それも金融偏重の資本主義を日本に植え込んだ結果、株主偏重のアメリカ流を貫くために、簡単に非正規社員を切り捨てるということがシステム上やりやすくなった。そのつけが、こんなにも早く大きく日本社会に降りかかってきた。

天皇陛下のお言葉は、的確にその事情を洞察され、日本人の行くべき道を示しておられる。

人々の絆を大切にしてお互いに助け合うことによって この困難を乗り越える

これが日本人の生き方であったはずではないか。

企業の経営者たちは、天皇陛下の年頭のお言葉をよくよく噛みしめて戴きたい。

このアーカイブについて

このページには、2009年1月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

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