2009年11月アーカイブ

若い母親からメールを戴いた。

彼女が神棚や床の間を掃除していると、3歳の幼子がやって来て、自分も手伝いたいと言った。
幼子はぞうきんで床の間を拭きながら、なにやら神様お願いします、とむにょむにょ言っていた。

何をお願いしているのと尋ねると、「○○(その子名前)の力をお願いしてた」と答えた。

大体に神頼みする人たちは、自分の努力は棚上げして、あれが欲しい、これが欲しいと、勝手な願い事をするものだが、この子はエライ!人生の勘所(かんどころ)をつかんでいる。

つまり、神様にお願いするのは、あくまでも自分の力を充実させてくださいということであって、その自分の力で自分の運命を開いていくという生き方こそ、尊ぶべきであろう。

この子は、幼くして、人生の勘所、神祭りの勘所をつかんでいるようだ。
明日は、久しぶりに琴の先生が来宅され、みっちりと稽古を付けて戴く予定です。

琴の稽古というと、今では女性たちの習い事のように思われています。
しかし、昔から、琴は男たちの、とりわけ風流を解する文人たちのたしなみでありました。

韓国ドラマ『女人天下』などを見ましても、風流をたしなむ貴族が旅をする際には、ロバに乗り、供の者に琴を担がせてゆらりゆらりと歩く場面がよく出てきます。

李白の有名な詩にも琴が出てきます。
 「山中対酌」 (李白)
両人対酌山花開 (両人対酌して山花ひらく)
一杯一杯復一杯 (一杯一杯 また一杯)
我酔欲眠卿且去 (我酔うて眠らんと欲す 君しばらく去りたまえ)
明朝有意抱琴来( 明朝 意あらば琴を抱いて来たれ)

二人で向かい合って酒を酌み交わす。
一杯一杯 また一杯と杯を重ねるうちに
私はどうも良いが回って眠たくなってしまった。
君、もうしわけないが、ひとまず帰っていただけないか。
明朝よろしければ、琴を抱いて来ていただけまいか。

山中で酒を酌み交わし、琴を奏でる。
うらやましいことですね。

それはともかく、私は、しばらく稽古に身をいれていなかったので、明日の稽古がタイヘンだあ。
 
今日は11月1日。
毎月一日には、日次祭(ひよりさい)をお仕えしている。
旧暦朔日(ついたち)には、月次祭(つきなみさい)をお仕えしている。

十一月の日次祭は、格別である。それは、十一月という月が、来年一年の運命がつくられるという月であるからだ。

石笛(いわぶえ)を吹く。
その音色が、スーッとどこまでも通っていく。
その音色に載せて、神つみよさしが現れていく。
そのような心地のする日次祭であった。

美剣(みつるぎ)を振る。
その美剣の先には、玉鉾(たまほこ)がある。

玉鉾とは、大きなガラスの器に水をたたえ、中にガラス瓶に入れたろうそくを灯し、
その上に三本の矢を立てて、矢には稲を結んである。

繰り返し、繰り返し、同じような祭りをお仕えしているようではあるが、
その実、一度としておなじ祭はない。

毎月、毎月、やってくる日次祭。
毎年、毎年、やってくる十一月。

しかし、一つとして同じ日次祭、同じ十一月はないのが道理である。

十一月に秘められた来年一年の展開は、いかなるものであろうかと、
少しばかり心時めく想いがする。

十一月様、どうぞよろしく。

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