2010年1月アーカイブ

今日は1月7日。五節句の一つで、人日(じんじつ)といい、七草粥を食する日であります。

我が家では、前日の6日からストーブに鍋を掛け、神祭りのお供えの五穀をいれて、ぐつぐつと炊いておきます。7日の朝に、七草を刻んで鍋に入れ、七草五穀粥を戴きます。
七草の緑と大豆の黄色が互いに引き立てあって、見た目もおいしい粥であります。

ちなみに、五節句とは、3月3日、5月5日のように奇数月の同じ奇数日を一年の節目として祝う日でありますが、1月1日は元旦として別格扱いとし、その変わりに1月のみ7日を人日(じんじつ)の節句とするものです。

五節句は下記の通りです。

 1月7日 人日(じんじつ) 七草粥
 3月3日 桃の節句、ひな祭り
 5月5日 端午(たんご)の節句、子供の日
 7月7日 七夕(しちせき、たなばた)
 9月9日 重陽、菊の節句

家庭でこういう年中行事を行うことが、子供の心を育てることに深く想いを致して戴きたいものです。




濁りと穢れは異なるものです。

イザナギ --- キ  見えない世界
イザナミ  --- ミ  見える世界

ミの世界が見える世界であるということは、つまり、濁りが有るから見えるのです。
この世は濁りの世界です。
それは決して穢れた世界という意味ではありません。

穢れは、祓い清めるべきものです。
濁りは、尊ぶべき物です。

人間の持つ濁りは、人間味という味わいのある貴重ないただき物です。

酒も濁り酒と清酒がある。濁り酒には特有の味わいがありますね。

イザナギの清らかな透明な世界と
イザナミの濁りの世界とを
あわせて持っているのが人間です。

遊びをせんとや生(う)まれけむ
戯(たわぶ)れせんとや生(む)まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば
我が身さへこそ揺がるれ
(『梁塵秘抄』)


昔は、正月ともなると、我が家の前の通りで、子ども達が元気良く遊び回っていたものですが、少子化の今、三が日と雖も通りは人影もなく静まっています。

子供の声はいいですね。
子供の声が家の中で響くと、その家に活気が生まれます。
言霊、音霊の力がはたらく想いがするものです。

「遊ぶ子供の声聞けば」、何となくことらまでウキウキとする物です。

子供のにぎわいが期待できない昨今のこと、よし、だったら昔を思い出して我が身を揺るがしてみようぞ。

というわけで、今年は大いに遊びたいと思います。
特に、精神の遊びをうんと取り入れて見たい。
つまり、読書に励みたい。

考えて見れば、この数年は、読書していろいろな情報を吾が大脳にインプットするということをなおざりにしてきたように思います。もっぱら内部に沈潜していたのです。

平成22年は、久しぶりに、外の情報をどん欲に取り入れる年としたい。
それが私の遊びです。



平成二十二年、明けましておめでとうございます。

例年、大晦日は、除夜の鐘が鳴り始める前から越年祭を始め、年が変わる頃には新年を迎える祭りをお仕えしています。越年祭・新年祭を終えて、午前一時前に近所の産土神社へ初詣に出かけました。

私の産土様、竹渕神社は、この数年、見違えるばかりに神気が充実してきました。
氏子総代を始め、土地の人たちが産土様を大事にしてくださるおかげで、神域の整備が進み、拝殿や神庭が清浄に保たれ、参拝者も漸増しているようです。
宮司は常住せず、近くの菅原神社の宮司が重要祭事にはおいで下さいます。

一つの産土神社が、神界と正しくつながって神気を生々とこの世にもたらしてくださるためには、宮司はもちろんですが、それ以上に土地の人々がその産土神社を大事になさる必要があります。

その土地の人々のエネルギーを使って、産土神がお働きになるのです。

神様が、人間のエネルギーをお使いになるのです。
だから、人間は、神様に使っていただけるようなエネルギー体になることですね。




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