神道・祭りの最近のブログ記事

濁りと穢れは異なるものです。

イザナギ --- キ  見えない世界
イザナミ  --- ミ  見える世界

ミの世界が見える世界であるということは、つまり、濁りが有るから見えるのです。
この世は濁りの世界です。
それは決して穢れた世界という意味ではありません。

穢れは、祓い清めるべきものです。
濁りは、尊ぶべき物です。

人間の持つ濁りは、人間味という味わいのある貴重ないただき物です。

酒も濁り酒と清酒がある。濁り酒には特有の味わいがありますね。

イザナギの清らかな透明な世界と
イザナミの濁りの世界とを
あわせて持っているのが人間です。

平成二十二年、明けましておめでとうございます。

例年、大晦日は、除夜の鐘が鳴り始める前から越年祭を始め、年が変わる頃には新年を迎える祭りをお仕えしています。越年祭・新年祭を終えて、午前一時前に近所の産土神社へ初詣に出かけました。

私の産土様、竹渕神社は、この数年、見違えるばかりに神気が充実してきました。
氏子総代を始め、土地の人たちが産土様を大事にしてくださるおかげで、神域の整備が進み、拝殿や神庭が清浄に保たれ、参拝者も漸増しているようです。
宮司は常住せず、近くの菅原神社の宮司が重要祭事にはおいで下さいます。

一つの産土神社が、神界と正しくつながって神気を生々とこの世にもたらしてくださるためには、宮司はもちろんですが、それ以上に土地の人々がその産土神社を大事になさる必要があります。

その土地の人々のエネルギーを使って、産土神がお働きになるのです。

神様が、人間のエネルギーをお使いになるのです。
だから、人間は、神様に使っていただけるようなエネルギー体になることですね。




若い母親からメールを戴いた。

彼女が神棚や床の間を掃除していると、3歳の幼子がやって来て、自分も手伝いたいと言った。
幼子はぞうきんで床の間を拭きながら、なにやら神様お願いします、とむにょむにょ言っていた。

何をお願いしているのと尋ねると、「○○(その子名前)の力をお願いしてた」と答えた。

大体に神頼みする人たちは、自分の努力は棚上げして、あれが欲しい、これが欲しいと、勝手な願い事をするものだが、この子はエライ!人生の勘所(かんどころ)をつかんでいる。

つまり、神様にお願いするのは、あくまでも自分の力を充実させてくださいということであって、その自分の力で自分の運命を開いていくという生き方こそ、尊ぶべきであろう。

この子は、幼くして、人生の勘所、神祭りの勘所をつかんでいるようだ。
今日は11月1日。
毎月一日には、日次祭(ひよりさい)をお仕えしている。
旧暦朔日(ついたち)には、月次祭(つきなみさい)をお仕えしている。

十一月の日次祭は、格別である。それは、十一月という月が、来年一年の運命がつくられるという月であるからだ。

石笛(いわぶえ)を吹く。
その音色が、スーッとどこまでも通っていく。
その音色に載せて、神つみよさしが現れていく。
そのような心地のする日次祭であった。

美剣(みつるぎ)を振る。
その美剣の先には、玉鉾(たまほこ)がある。

玉鉾とは、大きなガラスの器に水をたたえ、中にガラス瓶に入れたろうそくを灯し、
その上に三本の矢を立てて、矢には稲を結んである。

繰り返し、繰り返し、同じような祭りをお仕えしているようではあるが、
その実、一度としておなじ祭はない。

毎月、毎月、やってくる日次祭。
毎年、毎年、やってくる十一月。

しかし、一つとして同じ日次祭、同じ十一月はないのが道理である。

十一月に秘められた来年一年の展開は、いかなるものであろうかと、
少しばかり心時めく想いがする。

十一月様、どうぞよろしく。
大音は希声なり (老子道徳経・第41章)

真実の大音は、かえって耳には聞こえないほどの微(かす)かな音(希声)である、と老子は云う。

未明に神前に端座して、音吐朗々と祝詞を奏上する。
その時に、無声の祝詞を奏上することがある。

例えば、アエイオウの母音を発する。
アーーーーと伸びやかに奏上すると、アの言霊の世界が現れる。
エーーーーと伸びやかに奏上すると、エの言霊の世界が現れる。

その世界が音に乗って広がってゆく。

その時に、アエイオウを無声で唱えると、アエイオウの一音一音の世界が限りなく広がる感じがする。耳で聞こえる音の広がり以上に、宇宙の果てまで届くかと思えるほどに、無音(希声)の響きが広がってゆく。

まさに、大音は希声なり。

店舗開業を控えた人が、事業の繁栄を祈って神社参拝を思い立ちました。

何か事があると人間は神様を想うようで、自分の店を開業ということになった人も、何やら神参りをしたくなったと見えます。
そこで彼は、遠くの有名神社へ参拝しようとしました。有名で、参拝者が多数集まってにぎわっているから、御陰もたっぷり戴けると思ったのでしょう。

ところが、これが世間一般の人々の良くやる間違いと言わねばなりません。
自分の住んでいる土地の産土の神をさしおいて、遠くの有名神社へ参るのは、筋違いであります。それでは足下が固められません。

日本全国、どの町、どの村へ行っても神社が置かれ、その土地の産土の神が祀られています。
人間の都合で祀られている御神名はどうであっても、産土神社として働きが生きているのであれば、そこには産土の神座(かみくら)が置かれています。

その土地に住む人々は、何を置いてもその産土の神をこそ礼拝申し上げるべきであります。

土地に住むということは、その土地と縁を結んでいると言うことです。
その土地の産土の神と縁を結んでいるということです。

これをないがしろにして、遠くの立派な神社を貴ぶというのは、本末転倒であると知るべきでしょう。

初詣もまたしかり。
まずは地元の産土神社にご挨拶を済ませてから、縁のある遠くの有名神社を訪れるのが筋目というものでしょう。

【参考記事】 初詣は先ず産土神社へ

知人が店を開業することになった。
改装工事を始めるに当たり、夫婦そろって工事担当者を伴い、ご近所に騒音その他のご迷惑をおかけするについて挨拶回りをするという。

なかなか感心な気遣いである。

しかし、忘れてならないのは、ご近所の皆さんに気遣う如く、その土地の産土(うぶすな)の神に気遣うべきであるということである。

人間は大地の上で生活している。
その大地ことごとく、さらには大地の上で生活している人間の生活全般を、産土の神が管轄し給うのである。

拙著『ありがとう日本アップダウン構造』の推薦記事が月刊波動2月号に掲載された。
「アップダウン構造」が徐々に人々の間で広がりつつあるのはとてもうれしい。
このアップダウン構造とは、日本人が無意識のうちに神々と」共存しているということを、論理的に解明するためのキーワードである。

アップダウン的生き方を表して、目に見える人間および目に見えない神々諸霊と共に生きてゆくのが日本人の行き方である。

目に見えない神々諸霊あまたいらっしゃる中で、人間にとってもっとも身近でお働き下さる神々のひとつとして、産土の神がいらっしゃることを忘れてはならない。

とりわけ、家の改築や店舗の改装などのような節目には、産土の神に対する気遣いをかかさぬことが肝要である。

改装工事を始めるという夫婦に産土の神への礼儀を説いたところ、夫婦そろって産土神社に参拝するとのこと。

このようなこと、日本人の常識としたいものですね。

【参考記事】初詣は先ず産土神社へ

昨日(4/9)、生駒市の稲蔵神社に日垣宮主師をお迎えして、稲蔵神界新生の戸を開き奉る祭祀を行った。

祭祀に先立ち、宮主師の指示により、拝殿の右横に流れる水流の掃除をした。
丘を伝って流れる水が小さな溜まりを作っているのだが、その溜まりの中にヘドロが積もって悪臭を発していた。

そのヘドロを取り除くと、にわかに水流が益して、せせらぎの音を立てだした。
この水は、今までどこに眠っていたのか。

お水さんも流れ出したくて仕方がなかったに違いないのだが、ヘドロが積もっている状態では、流れるに流れない。やむなくチョロチョロと心細い流れをつないでいるに過ぎなかったのだが、さわやかに清掃した途端に待っていたように水流が増大した。そして、これまで聞こえなかった水音をたてる。

水というのも確かに生きていると実感出来る一事であった。
(注記:これは2004年4月10日の記事)

生駒の稲蔵神社にて日垣宮主師の祭りに参加させて戴いた。
(2004年4月9日のこと。)

拝殿前に塩水を入れた桶を置き、その中に清水をいれたガラスコップを入れる。
祭事が始まると、その清水から天空に柱が立ち上り、オリオン星(水の神座)に結ぶ。
オリオン星から、地球全土の産土神座に一粒ずつの水滴が配られる。

その水滴の中には、ヤマト心の核心が籠められている。
地球全土の民族神が、其れを戴いて、真実おのおのの民族振りを発揮する。

稲蔵は、イザナギ・イザナミの創造神力を水に現す神座でもある。
そしてオリオン星には、膨大なる水が存在することが近年の天文学者の研究で判明している。

摩耶山の祭り

| コメント(0) | トラックバック(0)

早朝、摩耶山穂高湖にて神仙界に向けての祭事。

神戸の六甲山系に摩耶山があり、その頂上に穂高湖がある。
この穂高湖に、全世界の神仙界と神龍界を統御する一大コントロールセンターがある。
その神々には、龍神系の憑依霊の暗躍を治めるに大いに力を添えて戴いたことが幾度かある。

早春とはいえ山中の寒風はまだ身を凍らせる。顎が凍って祝詞の声が出しづらかった。

この宇宙は人間界のみならず、無数の世界の重なりがあり、それら世界の相互作用で人間世界のあり方が決まる。この祭りも、人間世界と整える基礎工事である。

米、塩、水を供えて神祭りをする。幼い子がそれをみて言った。
神様は生のお米を食べるの?

お供えの素饌(そせん、米塩水酒)や五穀は神様がお食べになるのではない。
米の力、塩の力、水の力を使うのである。

一粒の米には大地の力、水の力、日の力、月の力、星の力が凝縮されている。
その力を使って祭りをするために、素饌をお供えするのである。

その他のお供えをミケツという。
ミケツも同様に、海のものを供えて海の力を祭りに用いる。

山のものを供えて山の力を祭りに用いる。そのためのお供えである。

農家が食べてる低農薬なお米(楽天市場)

ピンクロックソルト(岩塩)(楽天市場)

室戸海洋深層水(深海の恵み)(楽天市場)

神道や神社の古い伝承は尊重すべきですが、同時に新しい時代の息吹を吹き込むことも忘れてはなりません。 

今の時代を神道の立場から一言で表現すれば、「太陽の新時代」と言えます。

月の光を頼りにしていた時代は終わり、太陽が高々と昇りますと、今まで月明かりでは見えなかったものまで、ハッキリとみえるようになります。 

その立場から、神道や神社、大和心について書き綴りたいと思います。

トランスペース研究所のサイトにようやく「神道と太陽の新時代」の息吹をお伝えするページができました。 まずは、時代背景から書き始めました。ご覧下されば幸いです。

→ [1] 太陽の新時代(トランスペースの理念)
→ [2] 人間理性成人祭
→ [5] 産土神社の探し方

天照大神は、日本人なら小学生でも知っている神様ですね。
太陽の女神さまであって、伊勢神宮に祀られていると。

その真実はといいますと、
太陽それ自体は、天照大神ではなく、神美産霊(かみむすび)大神です。
神美産霊(かみむすび)大神のいわば御肉体が、太陽であると申せましょう。

また、太陽神界は生命を生み出す神界であり、天照大神は、その太陽神界の斎主(いわいぬし)の神つまり、神主さんであります。

天照大神が太陽神界で生命をお祀りしてくださるから、私たちは勿論、生きとし生けるものすべてが生命を保ち続けることができるのです。さらには、神々の生命もまた、天照大神の生命をうけて千早振りを起こされます。

天照大神」(神道・日本文化キーワード解説)をアップしました。

天照大神は皇室の祖神に限らず、
生命の根源神であることを、日本人なら誰でも承知して戴きたいと思います。

→ 天照大神(その1)
→ 天照大神(その2)

塩にはものの穢れを浄める力があるのですが、
日光にも穢れを浄める力があります。

では、その違いはなんでしょうか。

形あるものを浄めるには、塩の力がよく効きます。

形のないもの、気持ちや心持ちを浄めるのは、日光がよろしいのです。

魚など、そのままでは腐ってしまうものも、太陽の光をたっぷり浴びせると、干物になって、長期保存がきくようになります。

塩= シホ = シ(水)+ ホ(火)

日の力の証ですね

ただし、日光の力を無形のものの浄めに限定してはいけません。
気分がくさくさして滅入る時には、
外に出て、芝生の上に寝転がって太陽の光を浴びるとよいのです。

6億年前の黒い岩塩(ヒマラヤ岩塩:ブラック粒)(楽天市場)

神秘のチェリーソルト ヒマラヤ岩塩 60g ミル付(楽天市場)

「馬子にも衣装」というように、衣服には力があります。
女性がきりっと和服を着ると、見違えるほど立派に見えますね。
衣服を単なるモノだと考えてはなりません。

神主が狩衣(かりぎぬ)や斎服(さいふく)を身につけると、それだけで厳かに見えます。
その衣服の力で祭りができるのです。
衣服のエネルギーが人間を引き立ててくれるのです。

また、祭事でもたらされる神気も衣服に蓄えられます。
だから、祭事に列席する際には、とびっきりの一張羅をきることです。

以前、甥っ子が結婚することになり、魂(タマ)むすびをしてあげることになりました。やってきた甥っ子を見ると、何と、ジーパンにセーター姿。

おいおい、一生に一度という大事な魂(タマ)むすびの神気をジーパンとセーターにこもらせるのか。

ちょっぴり苦言を呈しました。

神気は衣服に蓄えられます。

だから、神修者は、白衣を着用して、どのような色の神気であろうと、そのままに頂戴するという姿勢を示すのです。

このように衣服には現実に力があります。
しかし、よれよれの衣服を着ると、逆に己のエネルギーが衣服に食われるということも心得ておくべきでしょう。

初詣は先ず、産土神社へ参拝なさるのがよろしいでしょう。

All〇〇Japanの新年マニュアルとやらをみて、その内容に落胆しました。
当然のことであったはずのものごとが、ずいぶんと狂ってきているようです。

あわててトランスペースのサイトに「初詣は先ず産土神社へ」をアップしました。
自分の住む土地の産土神社をさておいて、恵方参りやら有名神社やらへ参拝するのは、本筋から外れます。

ぜひともご一読くださいましてよいお年をおむかえくださいますように。   (昌原容成)

→ 初詣は先ず産土神社へ参拝を


熊野大社・鑽火殿

道の友たち相集い、出雲で火継ぎ祀りをお仕えしました。


熊野大社の鑽火殿

熊野大社の鑽火殿

熊野大社・鑽火殿(さんかでん。上の写真)で霊火を灯し、
出雲大社・素鵞社(そがのやしろ)で火継ぎして、
立久恵峡の宿舎にて、参加者の火継ぎ祀りをお仕えしました。
いずれ詳しく物語るつもりです。

神道祭式では、榊に紙垂(しで)を付けて玉串を作り神前に捧げます。
玉串奉奠(ほうてん)と申します。

玉串奉奠の時、榊を通って祭事の神気がこちらに流れてくるのです。

まことにサカキとは境(サカ)をつなぐ木(キ)であります。
つまり、榊(サカキ)には、あの世とこの世をつなぐ力があるのです。
これを単なる形式と思っているととんでもないことになります。現実にサカキが働きます。

祭事の神気が流れてくるのであればよろしいのですが、下手をするとどういう世界のどういう物が流れて来るやらわかりません。
だから祭事にあたっては祓えが必要となります。

先年、老母の葬儀の際に火葬場へいって驚きました。
棺を炉の中に入れる前に、小さな祀りをするのですが、
私たちの隣では、神官が参列者に玉串奉奠をさせているではありませんか。
その中には子ども達も混じっていました。

火葬場には亡骸を食い物にする魑魅魍魎が雲集しています。
どれほど祓えを厳しくしたところで、そのような所でうかうかと玉串など捧げるものではありません。
まして頑是(がんぜ)無い子供に玉串奉奠をさせるのは危険極まりないことです。

神官のみまさんもしっかりしていただきたいものです。

【参考記事】 → 【玉串】

葛城一言主神社へ参拝に出かけた。
妹・川崎由紀子の結婚の祀りをを一言主神社で行いたいと思い、宮司さんにその許可を得るためである。
この婚礼の祀りは、火継(ほつぎ)祀りをかねる。

近鉄阿倍野から、尺土で乗り換え、近鉄御所駅で降りる。
バスで、寺田橋まで行き、そこから北へ入る道をゆらゆらと歩いた。

道筋には、無人のハッサク売り場があり、一網5個が100円。
料金は籠に入れる。田舎だねえー。

神社のこじんまりとした神庭に「乳銀杏」の神木が立っている。
宮司さんに許可を得て、この神木の下を婚礼の祭場と決した。

今回の婚礼は、川崎家に婿養子を取る事になり、結婚する両人のタマ結びのみならず川崎家の火継ぎ祀りをもかねることになる。

結婚というものが個人と個人の結びつきに過ぎないという、情けない勘違いが大いにはびこっている世相であるが、妹・由紀子は相手の建君ともども、よく婿養子を取ることの意味を理解してくれた。

【参考記事】 
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(1)
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(2)
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(3)
* 人間誕生の秘儀(父母産土)

少名彦那(すくなひこな)大神と大穴牟遅(おほあなむち)大神の神座が、産土の神座には必ず備えられていると申しました。

大穴牟遅さまがあの世のミタマを支配なさいます。
それゆえ、大穴牟遅大神を、幽界(かくりよ)の司の神とお呼び申し上げることがあります。

少名彦那さまは、あの世この世を問わず、霊魂すべての戸籍にあたる霊籍簿を一手に掌握なさっていらっしゃる。
それ故、少名彦那大神を別名、大司命神(だいしめいしん)とお呼び申し上げることがあります。

大司命神・少名彦那大神と 幽界(かくりよ)の司の神・大穴牟遅大神は、しばしば両面合わせ鏡のようになってお働きになります。

昨日は春分の日(春の彼岸の中日)。
春分の日のみたま祀りの首座にお就き遊ばすのは、少名彦那大神であり、

秋分の日(秋の彼岸の中日)のみたま祀りに首座にお着き遊ばすのは、大穴牟遅大神でございます。

少名彦那大神を、春告げの大神 と申し上げ、
大穴牟遅大神を、秋をもたらしの大神 と申し上げるのはそういうわけです。

たとえ神社の由緒書には記載がなくとも、産土の神座には、この少名彦那大神と大穴牟遅大神の神座が必ず備えられているということ、日本人の常識にしたい物ですね。

昨日の日記で「産土神を呼びなさい」と記しました。
人間死後の行く先を示して下さるのは産土神と申し上げてよろしいのですが、そこの所をもう少し詳しく申しますと、

  あの世のミタマ達を支配なさるのは大穴牟遅(おほあなむち)大神

であります。

○○さんのミタマ祀りをする際に、はい、○○さんいらっしゃい、と行ったところで、当の○○さんがそれに答えてすぐにやってこられるとは限りません。眠りこけている場合もあり、身動き取れぬ状況にある場合もあります。

この世ではそんなことはお構いなしにみたま祀りをすすめますと、そのみたま祀りは空転しますね。
そいうことが、実はよくあることでありまして、みたま祀りがこの世の人々の自己満足で終わってしまうのです。

そういう際に、大穴牟遅(おほあなむち)大神をお呼びして、大穴牟遅大神のお力によって、○○さんを祀りの庭に呼ぶのです。

そうすると、あの世のミタマを支配なさる大穴牟遅さまの神力によって、そのミタマが祀りの庭に呼び出されるわけ。

全国各地の産土の神座には、この大穴牟遅大神の神座が、少名彦那大神の神座と共に備えられているのです。
ですから、産土さまーといって手を合わせると、その祈りは大穴牟遅さまにも通ずるのです。

これが、人間死後の世界を産土様が司っておられるということの真相です。

彼岸が近づくとあの世のミタマ達がいろいろと立ち騒ぐようになります。
自分の行く先を知らずに迷い、この世の人間にすがるというミタマもいます。
その中には、生前熱心にある教団を信仰していたのですが、いざ死んで見ると全然話が違うというのでとまどっているミタマたちもいる。

そういうミタマ達には、産土神のことを教えてあげるとよいでしょう。

人間は産まれる際に、産土神が両親との縁を結んでくださるのですが、死後の導きをなさるのも、本来は産土神のお仕事です。
そこへ人間が宗教というものを持ち出して、宗教のやり方で死後の世界を渡ろうとすると、神様方は手を引かれます。

あなたが自分でやりたけりゃ、どうぞお好きになさいませ・・・

という訳ですね。

教団のエネルギーが強い間は、まだそのエネルギーであの世を渡世も可能でしょうが、宗教教団は所詮人間の作り物です。
人間の作り物は、はやり廃(すた)りがありまして、いつしか教団も変貌していき、エネルギーが枯れてくることがあるのです。

そうなると、その教団の教えに染まってなくなった人たちは、二階に上って梯子をはずされたようなもの。
話が違うとさ迷うことになりますね。

そういうミタマ達よーー、よーっく聞いておきなさい!

自分の力で、自分の産土神を呼びなさい。そして産土神の導きの手に乗りなさい。

産土の神様、どうか私の行くべき所をお示し下さい、と自分でお願いするのです。

人に祭りをしてもらって、人の力で救われようとは思いなさんな!

【参考記事】
 【6】産土神の霊験記(1)産土神はさ迷える霊魂の行き先を示す
 【7】産土神の霊験記(2)産土参拝と人間神力で霊群を鎮定

昨日(3/17)は、春の彼岸の入りの日。
この日から七日間を彼岸といい、真ん中の日(今年は3/20)を彼岸の中日(ちゅうにち)という。

春の彼岸の中日が、春分の日であり、
秋の彼岸の中日が、秋分の日である。

彼岸とは、三途の川を境にして向こう岸の側、つまりあの世のことであり、対してこちら側を此岸(しがん)という。

彼岸にいる先祖のみたまと、此岸にいる私たちが、一緒になって行うのが「みたま祀り」である。

春分、秋分は、太陽と地球との位置関係上、日光が深く地球にそそがれる。
その日の光を使って、彼岸を調え、此岸を調えるという点に、春分秋分のみたま祀りの意義がある。

昨日(3/16)は、家内の妹が結婚を控えての、親族顔合わせの食事会があった。
明治の森の中、箕面の滝の手前にある音羽山荘という料理屋での会食であった。

床の間に産霊(むすび)の男神女神の図を飾り、1つの器に榊2本を立てて、両家の氏神のヨリシロとして、会食歓談。

人間の世界の動きに合わせて、氏神の世界で産霊(むすび)の祀りが行われたようである。

結婚というものが、個人と個人のつながりに過ぎないというような誤解がまかり通る世の中であり、その世相を受けて氏神とのつながりがはなはだ希薄な人々があまりに多い。
極端な場合は、全く切れていると見受けられる場合もある。

真実の人間の生き方を求めるならば、この世とあの世がつながっていて、常に連動して動いていると云うことを忘れてはならない。
一個の人間が、存分にその力を発揮するためには、氏神(先祖)とのつながりを肉体の血球の中にいただかねばならない。

男女が結婚する。
それはただ一人の男と一人の女のむすびつきに過ぎないと考えるのは、甚だ大きな誤りである。

【参考記事】
父母の力(血の球の力)
 力(チカラ)は血から(1)
 チカラ)は血から(2)
 血球を造る神、流す神

人はそれぞれ自分の世界を持っている。
たとえ夫婦といえども、夫には夫の世界があり、妻には妻の世界がある。
これは夫婦仲の善し悪しに関わりはない。

親しい友人がいて、彼とは楽しく世間話が出来る。
しかし、そこに奥さんが入るともう話にならない。
アイツは良いヤツだが、アイツの奥さんはどうも苦手で・・・ということになる。

逆に無愛想な旦那だが、奥方の柔らかさに引かれて人が集まるということもある。
これは皆、人それぞれが一つの世界を持っているという証(あかし)である。

人は、一人(いちにん)一世界の主宰者である.

人生とは己の世界を己で作り上げてゆくことにほかならない。

何事によらず、ものごとを作り上げるというのはご苦労なことであるが、その苦労が己の世界を作り上げる為のものであると知れば、苦労もまた楽しとなる。
例えば、結婚というような人生の一大事は、己の世界形成に計り知れない影響を与える。
したがって、必死になる。つまり、その人の魂の本質が吹き出してくる。同時に周りもいろいろと吹き出してくる。あの人はああせよと言い、この人はこうせよと言う。
それをうまく調整してゆくというのも己の世界を作り上げる楽しみと心得れば、なかなかに実のあるゲームが楽しめる。

一人(いちにん)一世界の主宰者たることを目指し、深める。
それが神道でいう鎮魂にほかならない。

近所で家の建て替えをしている。
古い家の取り壊しから始まって、地均し、基礎工事、棟上げ、と順調にすすんでいるのだが、一向に神祀りをする気配がない。

地鎮祭、上棟祭、落成祭などの祭祀が完全に無視されている。こいう祭祀が、単なる形式と勘違いしているのであろうか。

人間が建てる家というものは、単なる物質の集合体ではない。
単なる物質の集合体にしてはならない。
人間という存在は、そんなに安っぽいものではない。

家が、そこに住む人間と共に生きて働くように、家のミタマの霊体形成をしていただき、そのミタマが家に重なるという祭祀が落成祭である。それに先だって、その土地を人間の住む住居を建てる土地として使わせて戴くという神許を産土神から得る必要がある。それが地鎮祭である。

地鎮祭も落成祭も、厳然たる内実があってのことである。
その祭祀を改めて日本人の常識として回復しなければならない。

「家の神様、土地の神様」については、トランスペース研究所のメール会員ページにミニ講演の音声ファイルをアップしてある。

家が、そこに住む人間と共に生きて働くように、家のミタマの霊体形成をしていただき、そのミタマが家に重なるという祭祀が落成祭である。それに先だって、その土地を人間の住む住居を建てる土地として使わせて戴くという神許を産土神から得る必要がある。それが地鎮祭である。

神祭りをする際に榊等のヨリシロを立て、そこに神霊の降臨をお願いする。
神霊は分魂をあらわしてその場に降臨されるのだが、直接ヨリシロに降臨するのではない。

神主の肉体を通過してヨリシロに降臨するという鉄則がある。
神主の肉体を流れる血球にまず寄りつき、そこから榊などのヨリシロに移るのである。

その神主の血球が、悪食、悪想念でドロドロに濁っていたら、神霊の光臨はありえない。
だからこそ、神主たるもの、血球を清らかに整え、精の流れを整える必要がある。

神祀りのチカラは血から湧いてくると知るべきである。

昨日の日記に「血の球の響きが人格を形成している」と述べた。
 → 父母の力(血の球の力) 昌原気ゆる日記

更に言うと、人間のチカラは「血から」響きでる。

体中を流れる血液、その血球には、肉体を支える力とともに、先祖につながる精の力即ち氏神の力も秘められている。(火継祭りの記事参照)

先祖のみたま祭りを行うのも、血球の流れを整えて、精の流れを整えて、生きる力を逞しく我が身に収める為である。

「いや、うちの先祖はもう迷っていませんので、祭りの必要はありません」というのは考え違いである。
立派な先祖であれば尚更、この世に生きる子孫が精の流れを整えて、血球から響き出る力を充実する為にこそ、みたま祭りを行うべきであろう。

血からチカラが湧いてくる。
そのチカラを正しく祭ることが、先祖のみたま祭りとなる。

ある家の火継(ほつぎ)祭りをお仕えした。
火継を受けるお嬢さんの実の母親に神主となって戴いた。

神祀りは筋道が通らないと成就しない。なかなかに難しい点もある。
今まで神祀りなど経験のない母親に果たして火継祭りの神主が勤まるのかと思われるかも知れないが、さにあらず。
実の父親、実の母親が火継祭りの最高の神主となれるのである。

父に父の位があり、父の力がある。
母に母の位があり、母の力がある。

その位には、他の何者にも代え難い絶大な力がある。
火継を受ける子供の肉体を流れる血球が、両親の血球と響き合うからである。

先祖のみたま祭りにおいても、その一族の血の流れを受けている人が、その血球をもって参加することがとても重要なこととなる。
血球の響きが人格を形成していることをしるべきである。

血球を作る神をクラオカミと申し上げ、血球を流す神をクラミツハと申し上げます。
この両神を火継祭りにお呼びするのはそういうわけです。

クラオカミは京都貴船神社に水の神として祀られていますが、その真相・深層は、玉造りの根元紳であり、血の球だけではなく、ミタマ(魂)もこの神により造られます。
クラオカミもクラミツハもその本宮を北斗七星においていらっしゃる。

血流ひとつ取ってみても、星と深く関わっているのです。

人間存在がどれほど深く日月星辰とかかわっていることか。
心を大きく深く、日月星辰と結びたいものです。

店舗開業の祭り

| コメント(0) | トラックバック(0)

甥が理容店を開業するので、開業祭を執り行った。
本来ならば、地鎮祭から上棟祭を経て落成祭という段取りになるのだが、コンクリートで固めた店舗では土を掘り返しての祭りができない。
止むを得ず、甥夫婦に21日間の産土参拝を勧め、大床(おおとこ)鎮めの祭り(地鎮祭)の足らざるを産土神におぎなって戴くこととした。

甥夫婦の真心が通じたと見えて、満願の日には産土神社の宮司さんから普段は使わぬ井戸水を分けて戴き祭りに用いる事ができた。

その店舗に屋船久久能知(ヤフネククヌチ)の神が霊体形成して重なってくださり、以後、店が一つの生き物として活躍してゆく。

そのような祭りをお仕えすることができるのも産土神の御神徳、日本列島の御神徳による所はなはだ大である。

火継ぎする精(せい)は霊魂ではない。
肉体があり霊魂があるということは良く知られているが、この精の知識が宗教者といえどもあまりに乏しい。

憑依現象ということがある。
この宇宙には何とも名状しがたい生き物がいて、それが人間にとりつくことがある。

とりついた化け物は人間の何を食らうのか。

体を食らうのでもなく、霊魂を食らうのでもない。
精を食らうのである。

そこから、肉体でもなく、霊魂でもない、精の存在が感覚できるであろう。

人は父親から精を承け、母親から体を承けて、この世に人間として誕生してくる。
この精の流れが、姓の流れである。

養子に入った婿殿は、そのままでは、その一族の精を承けていない。
つまり、精の流れが断絶している。
それを血筋の乱れという。

そこで精を受け継ぐという祭り、すなわち火継ぎ祭りが必要となる。

【参考記事】 
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(1)
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(2)
* 人間誕生の秘儀(父母産土)

山田家に子供が花子さんしかいないとする。
そこで海原太郎君を婿養子に取るとする。

婿に入った太郎君は山田太郎と名乗る。
しかし、太郎君の肉体に重なって存在する精は依然として海原家の精であって、山田家の精ではない。

そこで太郎君に真実、山田の精を戴くという祭りが必要となる。
それが火継ぎ(ほつぎ)祭りである。

火継ぎ祭によって、太郎君に山田の精が重なる。
子供ができると、父親太郎君が火継ぎで承けた山田の精がその子に伝わる。

この火継ぎ祭りをしないとどうなるか。

一家に女の子しかいないという場合に婿養子を取るが、その際には火継ぎ(ほつぎ)祭りをするとよい。

何故火継ぎ祭りが必要なのか。
それを理解するには人間という存在がどのようにして形成されるのかと言うことを知らねばならない。

何度かに分けて説明しよう。

人間が肉体形成してこの世に生まれるには、父と母と産土の3つの力が結ばねばならない。

そのうち、父からは精(せい)を承け、母からは体(たい)を授けられる。精子と卵子が結合して、母胎の中で十月十日を経るうちに、体が育つとともに精も育つ。

この精が問題。
体は目に見えるので良く分かる。精は目に見えないのだが、確かに存在する。
この精の流れが姓の流れであり、その精の流れ(姓の流れ)を守護するのが氏神である。(翌日に続く)

【参考記事】 
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(2)
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(3)
* 人間誕生の秘儀(父母産土)

三月様よろしく

| コメント(0) | トラックバック(0)

今日は三月一日。
神まつりする人たちは、毎月一日には、その月を迎える祭りを行います。

神祀りなど関係ないというお家でも、昔は月の初めに赤飯を炊くという家も結構ありました。

日本人の感覚の中には、それぞれの月を迎えるという「祭り心」が奥底で響いているのですね。

昨日(2/29)は「二月さんありがとうございました。いただきます」といってご飯を戴きました。

今日は、「三月さんこんにちわ、どうぞよろしく。いただきます。」とでも申し上げて食事をされたらいかがでしょうか。
それも、小さな祭りですね。

そういうリズムを生活に取り入れることによって、子供の心が育てられるのです。

今日は二月最後の日。(2008年2月29日)
アットいう間にひと月過ぎました。

ところで、子どもにはありがとうが素直に言える子に育って欲しいと親は願うものです。
それでは、毎月、毎月、一月さん、二月さんに、感謝を捧げているでしょうか。

夕食の際にでも、子どもさんとご一緒に、

 「二月さんありがとうございました。いただきます」

とでも唱えてみてはいかがでしょうか。2008

平成二十年という流れを十二に区切って各月がある。
その最初の一区切り、一区切りに感謝するのです。

私たち、神マツリをする者は、月末の夕べには、「みかへりマツリ」をします。
そういう祭式は思いっきり簡略化して、月末の夕食は、「○月さんありがとうございました。いただきます」で始める。

これも立派なマツリですね。その繰り返しが子どもの心を育てます。

月の神様

| コメント(0) | トラックバック(0)

月には月の神様がいらっしゃる。
地球上に山があり、海があり、山の神様、海の神様がいらっしゃるように、月にもたくさんの月の神様がいらっしゃる。

その元締めの神を「月読大神(つきよみのおおみかみ)」と申し上げる。

月は霊魂の根源界。
みたまマツリなどをお仕えする際には、月の神様をお呼びしてその恵みを戴きます。
そのお月様に手を合わせて礼拝申し上げることは、絵空事ではないのです。
月の神様がお祭りなさるから、私たちの霊魂が保たれるのです。

日本人が昔から「ノンノ様」と呼んできたお月様。

そのお月様を、子どもの心に結んであげたいものですね。

産土神社には、ご神体を奉安する本殿があり、ご神体を礼拝する拝殿があり、神木が立っている。

* 本殿
* 拝殿
* 神木

最近の世相は、本殿拝殿を尊重するあまり、周りの神木をお粗末にしがちである。
本殿・拝殿を尊ぶあまり、神域の神木がさびしくなっていく神社を見ると、まことに寂しい限りである。

これは、実は、本末転倒。
ご神体に神気を豊かに迎えることができるのは、周りの神木のおかげである。

天空たかくそびえる神木から、神気が下ろされる。
木の神をククヌチの神と申し上げる。
ククヌチは、虚空内(くくぬち)。木の幹の内部に虚空の柱が立つ。
その虚空の柱に、天空から神気が光臨する。
その神気が本殿のご神体に蓄えられる。
それが分かれば、神木をこそ貴ぶべきであると分かる。

産土神社の神域を整えるのは、産子の役割と心得よう。
本殿・拝殿を清浄に保つとともに、神域の神木を豊かに維持するということにも充分に意をそそいでいただきたい。

産土神社の森は、日本の心象風景として大切に保存して行かなければならない。

あなたのお家の中で、さ迷える霊魂たちがうろうろしたら、どうしますか。

陰陽師や祈祷師を呼んでお祓いしてもらいますか。
一度や二度で済みますかしら?

実は、もっと良い方法があるのです。
産土の神様にお願いして、自分で解決なさることです。
 
たとえ祈祷しにお願いして強力な霊力で祓いのけたとしても、その霊魂たちにとっては根本的な解決にはなりません。この家がだめなら、あの家でということになることもあります。

人間が生まれる際に、両親との縁を結んでくださるのは産土(うぶすな)神です。
人間死後の霊魂の行方を示してくださるのも、産土神です。
人間の生も死も、産土神の導きによって為されるのです。

それが分かれば、家の中でさまよう浮遊霊にもそのことを教えてあげることですね。
あなた自身が産土神と直接ま向かって、産土神の導きをお願いし、その浮遊霊を産土神界へ導けば良いのです。

神祭りなどしたこともなかった普通の主婦が、産土様にお願いして、家の中の浮遊霊を行くべき所へ導いたという実話があります。
また、人間をあのよへ引きずり込もうという強力な害意を抱く霊群すらも、産土参拝21日で治めたという実話もあります。

詳しくは下記をお読みください。
   ↓   ↓   ↓   ↓
◆神道と太陽の新時代【6】産土神の霊験記(1)産土神はさ迷える霊魂の行き先を示す
◆神道と太陽の新時代【7】産土神の霊験記(2)産土参拝と人間神力で霊群鎮定

2004年4月5日の満月祭は房総半島の南端、布良崎(めらさき)の里でお仕えした。
また、満月の力を戴いて、参列者の先祖および有縁のミタマの祀りをお仕えした。

参列者の中に、まことに凄惨なる状態に置かれている多数の有縁のミタマ達をどうしても救済したいと熱望する人がいた。
そのミタマ達と接触してから、強烈な異変が生じて早急に措置をとる必要があるともいう。

そこで二十一日間の産土参拝によって産土神の神力を拝受するようお勧めした。
二十一日満願の日が、丁度満月祭の日に当たる。

二十一日間の産土参拝によって、その人の中に産土の神力を豊かに蓄え、更に満月の力を拝受して霊魂安定の祀りを行った。

産土の力と満月の力には、絶大なるものがあり、到底個人の霊力などで背負いきれるはずもないマツリが神ながらのまにまに執り行われて、サワリは一切消え果てた。

産土神社が生きて働いていることを改めて思い知り、月が人間の霊魂に大きな力を及ぼしていることを改めて思い知ったマツリであった。

詳しいことは、「神道と太陽の新時代」の次の記事をお読みいただきたい。
    ↓   ↓   ↓   ↓   ↓
 産土神の霊験記(2)産土参拝と人間神力で霊群を鎮定

満月が地球に及ぼす影響があり、それは地球上に急激な変事をもたらしかねない。

ある人からメールを戴いた。
それによると、「満月になるとアメリカ大陸が16センチも浮上する。事故が多いので警官を増員される。宮城県警なども月のリズムを利用して警戒している」とか。

確かに、満月の力が地球に及ぼされると、地球上に急変が起こることがある。
狼男が満月の夜に変身するというのも、あながち理由のない訳ではない。

その満月の急激な力を和らげて、恵みの力に変え、霊魂を活かす力に変えるるために、満月祭をお仕えする。

今日は旧暦睦月(むつき)の満月祭。

満月の時刻があり、それは地球と月の関係で決まるので、必ずしも夜とは限らない。
今日の満月の時刻は、昼の12時30分。

満月祭は、満月の時刻の少し前から始める。

人知れず満月の祭りを続けている、我が道の友たちの有り難さを思う。
格別、祝詞などご存じない方々は、満月に手を合わせて、「お月様ありがとうございます。地球を活かす光りを放ち続けてくださいませ」と祈るだけでもよい。

日本人は、もっと月との関わりを取り戻すべきだろう。
日本全国で満月祭をお仕えする道友たちの祀り手振りよ弥栄(いやさか)なれと祈りあげたい。

2/4立春とはいえ、まだ春の気配は無い。
旧暦は季節と連動していたのだが、新暦に変わってから、暦と季節とのずれが目立つようになった。

昨年(2003年)の旧暦2月4日(立春)は新暦では3月6日であり、かなり春めいて春立つにふさわしかった。

今年(2004年)は、旧暦では2月が二回めぐってくる。
旧暦二回目の二月を閏(うるう)二月という。

つまり、今年(2004年)の
  旧暦二月四日は   新暦で二月二十四日、
  旧暦の閏二月四日は 新暦の三月二十四日である。

閏(うるう)二月の立春は、そろそろ桜の花便りが気になる頃で、立春というにふさわしい。

明治に新暦(太陽暦)が採用されて、旧暦(月暦)は世間ではほとんど省みられないのだが、どっこい、旧暦は現実に生きている

月が地球に及ぼす影響というのが現実にあって、無月(朔日)から三日月、上弦、十三夜、満月、下弦、黒神(こくしん)三日月、そして再び無月(朔日)に変える。その時々の月の世界が、それぞれの働きを持って、地球に、人間に、山河草木に、影響を及ぼしてくる。

神祭りする者は、朔日(旧暦一日)には月次(ツキナミ)祭、三日は三日月祭、そして、上弦祭、十三夜祭、満月祭、下弦祭、黒神(こくしん)三日月祭をお仕えするのである。

ところが、新暦(太陽暦)による祭りは、新暦一日に日次(ひより)祭、月末に宵祭りを行うぐらいであって、月にちなむ祭りの方が断然多いのである。

あなたは今月の満月が新暦で何日になるかご存じですか。
旧暦の動きは、月の動きであり、月の神様は霊魂の根源神である。

新暦とともに、旧暦も意識に入れて暮らしてみてはいかがでしょうか。

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち神道・祭りカテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは日本語と英語です。

次のカテゴリは読書メモです。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。