世相雑感の最近のブログ記事

 ブライアン・トレーシーに、『ゴール - 最速で成果が上がる21ステップ』 という著作がある。 その中で、リーダーの資質の一つとして、トレーシーは、「現実を現実として受け止める」ということを挙げている。 当たり前のようでいて、これができていない人が、結構いるものである。
  今の日本国総理大臣などは、その代表例であろう。

 政権交代して、国民の期待は大いに高まったのだが、いざふたを開けてみると、首相の頼りなさに開いた口がふさがらない。

 世の中には、「憑依」という霊的現象が現実にある。
 私は、いくつもの憑依現象を実際に見てきた。また、実際に対処を迫られたことも少なからずある。

  そういう経験の中で、自分以外の他の霊的存在に憑依される人たちに見られる共通点に気づいた。その二大共通点とは、

    * 自惚れ(うぬぼれ)と
    * 現実逃避
である。

 現実逃避とは、現実を現実として受け止めるのではなく、自分の頭の中にある自分にとって望ましい仮想現実を現実と思いこむことである。
 私が実際に見てきた憑依される人間には、例外なく、この現実逃避が見られる。

 自分の頭の中にある自分にとって望ましい仮想現実を現実と思いこむ。
 これは、今の日本国総理大臣にはっきりと見られる心の状態ではないだろうか。

 おまけに、根拠のない自信過剰、つまり自惚れによって、沖縄基地を五月までにどうのこうのと、国民のみならず外国のリーダーにまで言ってきたのであるが、現実はいかんともしがたく、今、まことに無様な姿をさらしている。

 憑依される人間の二大共通点である自惚れ(うぬぼれ)と現実逃避を、きっちりと兼ね備えた首相が、憑依されていると云うのではない。

 しかし、この二大共通点を絵に描いたようにきっちりと兼ね備えている人間が、現実に根ざした行動を取れる筈はない。あっちにふらふら、こっちにふらふらと、現実世界をさまよう他はない。

 あれこれと世の中を乱した末に、いかんともしがたい現実の前に、あたふたとよろける他はない。
 ああ、日本国は、どうなるのであろうか?

 ブライアン・トレーシーは、他の著作で成功へのアドバイスとして、こう言っている。
 『怒りと不満はエネルギーの浪費だ』

 ああ、もう笑うしかない。アハハ。

▼もしも大脳が洗えるなら、あなたは大脳を洗ってみたいですか?(音により潜在意識を浄化して深層意識を発現する)




遊びをせんとや生(う)まれけむ
戯(たわぶ)れせんとや生(む)まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば
我が身さへこそ揺がるれ
(『梁塵秘抄』)


昔は、正月ともなると、我が家の前の通りで、子ども達が元気良く遊び回っていたものですが、少子化の今、三が日と雖も通りは人影もなく静まっています。

子供の声はいいですね。
子供の声が家の中で響くと、その家に活気が生まれます。
言霊、音霊の力がはたらく想いがするものです。

「遊ぶ子供の声聞けば」、何となくことらまでウキウキとする物です。

子供のにぎわいが期待できない昨今のこと、よし、だったら昔を思い出して我が身を揺るがしてみようぞ。

というわけで、今年は大いに遊びたいと思います。
特に、精神の遊びをうんと取り入れて見たい。
つまり、読書に励みたい。

考えて見れば、この数年は、読書していろいろな情報を吾が大脳にインプットするということをなおざりにしてきたように思います。もっぱら内部に沈潜していたのです。

平成22年は、久しぶりに、外の情報をどん欲に取り入れる年としたい。
それが私の遊びです。



明治維新の志士、西郷隆盛が、一時期、沖永良部島へ流罪になっていたことがあった。志を遂げられないということは、志士にとってとてもつらいことであったと思う。

広さ4畳半の牢屋の中で、彼は読書に励み、漢詩と書道に打ち込んだという。また、牢の外では島の若者たちが西郷の教えを受けたという。有名な「敬天愛人」の言葉は、沖永良部島流罪中に生まれたそうだ。

(ヤフーニュース: 西郷、書の師匠は島役人!? 沖永良部島 流罪中に学ぶ 坦晋の書や蔵書 手本か)

  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090911-00000006-nnp-l46

上のニュースにもあるように、島の若者、坦勁が琉球で買い求めた漢書を西郷は借り受けて、その借用書二通がのこっているそうである。

それにしても、昔の日本人の知的レベルは相当なものであったろう。その時代、都を遠く離れた沖永良部島の若者が、琉球で漢書を買い求めるとはねえ。

私は、昔、高校教師をしていた人のお宅で、西郷自筆といわれる「敬天愛人」の書を拝見したことがある。

堂々たる筆致で、まことに西郷さんにふさわしい風格のある書であった。

今、連立政権に入って合意文書に署名した女性党首の文字があまりに幼いので、西郷さんを思い出した次第である。

天皇陛下は平成21年(2009年)の年頭にあたってご感想を発表された。
世界的な金融危機による日本の経済情勢の悪化については、

多くの人々が困難な状況におかれていることに心が痛みます。 国民の英知を結集し、人々の絆(きずな)を大切にしてお互いに助け合うことによって、 この困難を乗り越えることを願っています

と述べられた。

不況不況と掛け声上げてさっさと「派遣切り」に邁進している上場企業の経営者たちは、このお言葉をよくよく噛みしめて戴きたい。

人々の絆を大切にしてお互いに助け合うことによって この困難を乗り越える

ということを、日本の企業はこれまでやってきたはずではないか。

企業の内部留保がまだまだあるうちに、非正規社員を切り捨てて、企業の安泰を図ろうとするのは、これまでの日本的企業の在り方から逸脱するアメリカ的手法と言わざるを得ない。
日本はいつからこのような国になってしまったのだろうか。

不況の時には、従業員も経営者も、一丸となって自分たちの給料を減らしてでも一緒にこらえて頑張ってきたではないか。

ところが昨今、構造改革とやらで、アメリカ流の資本主義、それも金融偏重の資本主義を日本に植え込んだ結果、株主偏重のアメリカ流を貫くために、簡単に非正規社員を切り捨てるということがシステム上やりやすくなった。そのつけが、こんなにも早く大きく日本社会に降りかかってきた。

天皇陛下のお言葉は、的確にその事情を洞察され、日本人の行くべき道を示しておられる。

人々の絆を大切にしてお互いに助け合うことによって この困難を乗り越える

これが日本人の生き方であったはずではないか。

企業の経営者たちは、天皇陛下の年頭のお言葉をよくよく噛みしめて戴きたい。

サッカーW杯といっても、2002年夏のこと。
韓国はベスト4入りを果たし、日本は数歩の遅れを取った。
韓国の勝因は即ち日本の敗因であり、その要因は今も変わっていない。

その要因とは、応援歌の言霊の力と米(コメ)の力である。
 
韓国チームの応援歌、「オー、ピルソン、コーリヤー」には、大地をゆるがさんばかりの迫力があった。
それに比べて、日本応援歌、「ニッポン、チャチャチャ」のちゃちなっこと、ちゃちなこと。これでは選手の血の球に力を注ぎこむ霊力は望むべくもない。

それに追い打ちを掛けて、コメの力の不足がある。

わが一族の族譜(家系図)の改訂作業に加わって、今まで意識に登らなかった人たちのことが意識に登るようになった。
中には幼くして無くなった人もいる。
近い親戚の系図に、名前のみあって見たことも聞いたこともないという人もいた。
老人に尋ね尋ねてそういうミタマたちの存在を確認し、その記載を改訂する。

そういう作業をしている最中に、今年の3月20日は春分みたま祀りの日となった。
族譜に記載があるが故に、そういうミタマたちの存在を意識することが出来る。また祭りの御蔭をそちらに及ぼして戴くということも可能となる。

【参考記事】族譜(家系図)の改訂

夫婦別姓を制度化しようとするとする議論がある。
日本においては、女性の権利主張という観点から夫婦別姓を望む声が大きいようだ。

韓国においては、古い歴史を通じて今に至るまで、夫婦別姓が貫かれている。
黄家に生まれた人間は、男であれ女であれ、結婚しようがしまいが、終生、黄の姓を名乗ることになる。
また、金家の女性が、黄家に嫁に入ったとしても、姓は金のままである。
その子供は、父親の姓である黄を名乗ることになる。これが韓国の鉄則としてある。

韓国の夫婦別姓には、深い意味がある。
つまり、父親の姓を名乗るということには深い意味があるのだ。

人間誕生の際に、母親から体(たい)をもらうということは、目に見えるだけに良く理解されている。ところが、目に見えない精(せい)というものがあり、この精(せい)を父親からもらって、一個の人間が肉体形成する。

この精(せい)の流れが、姓(せい)の流れである。
精(せい)の流れ、姓(せい)の流れを守護するのが氏神である。

従って、氏神の恵みを豊かに受けようとするならば、子供は父親の姓を承けるのがよろしいのである。

  母親から体(たい)をもらう。 
  父親から精(せい)をもらう。→ 姓(せい)を承ける。→ 氏神の恵みを受ける。

夫婦別姓、大いに結構。
しかし、子供は父親の姓の流れにつなぐというのが、氏神とのつながりを付けるために絶対に必要であるということを忘れてはならない。

韓国人が、夫婦別姓を貫きつつ、子供には父親の姓を名乗らせるという鉄則を守っているのは、氏神とのつながりという点を深い所で感覚してのことであろう。

日本において夫婦別姓を叫ぶ人たちが、子供には夫婦どちらの姓を名乗らせてもよいと、浅はかに考えているとしたら、大問題である。
精(せい)の流れ、姓(せい)の流れを断ち切られた子供たちが大量に増えたならば、この日本はグシャグシャになるであろう。

下記の関連記事を参照されたい。
▼ 族譜(家系図)の改訂

昨日(3/16)は、家内の妹が結婚を控えての、親族顔合わせの食事会があった。
明治の森の中、箕面の滝の手前にある音羽山荘という料理屋での会食であった。

床の間に産霊(むすび)の男神女神の図を飾り、1つの器に榊2本を立てて、両家の氏神のヨリシロとして、会食歓談。

人間の世界の動きに合わせて、氏神の世界で産霊(むすび)の祀りが行われたようである。

結婚というものが、個人と個人のつながりに過ぎないというような誤解がまかり通る世の中であり、その世相を受けて氏神とのつながりがはなはだ希薄な人々があまりに多い。
極端な場合は、全く切れていると見受けられる場合もある。

真実の人間の生き方を求めるならば、この世とあの世がつながっていて、常に連動して動いていると云うことを忘れてはならない。
一個の人間が、存分にその力を発揮するためには、氏神(先祖)とのつながりを肉体の血球の中にいただかねばならない。

男女が結婚する。
それはただ一人の男と一人の女のむすびつきに過ぎないと考えるのは、甚だ大きな誤りである。

【参考記事】
父母の力(血の球の力)
 力(チカラ)は血から(1)
 チカラ)は血から(2)
 血球を造る神、流す神

月も知ってる おいらの・ ・ ・

歌謡曲には案外、日本人の心を何気なく表した歌詞が多い。
ご存知村田英雄の「王将」の一番。

  吹けば飛ぶような将棋の駒に 
  賭けた命を笑わば笑え 
  うまれ浪速(なにわ)の八百八橋(はっぴゃくやばし)
  月も知ってるおいらの意気地(いきじ)
   (作詞・西條八十、作曲・船村徹)

そう、お月さんは知ってらっしゃいます。
だって、人間の霊魂は、月の神「月読大神(つきよみのおおみかみ)」から戴くのですから。
霊魂の更に奥に生命がある。生命を下さるのは、日の神「天照大神」(あまてらすおおみかみ)。
肉体は、「素戔嗚大神」(すさのおのおおみかみ)から戴来ます。
天照大神、月読大神、素戔嗚大神を三貴神として貴ぶのは当然ですね。

お月様に心を通わせるというのは、単なる風流の問題だけではないのです。間存在の根幹に関わる問題なのです。

歌謡曲というのは、バカにできませんね。
普通の日本人の感覚の中に、キラリと光る真実が籠もるものです。

  星は何でも知っている
  ゆうべあの子が泣いたのも・・・
  (唄:平尾昌章、作詞:水島哲、作曲:津々美洋)

そう、星の動きが人間の動きに重なるのですから、星は何でも知っていると言えますね。
星の動きから人間の運命を推し量るのが占星術、四柱推命です。

人はそれぞれ目に見えない糸で星の世界とつながっているのです。
時には星空を仰いで、お星様と語らいませんか。

全天の星の精気を集める神力を持つのが、天皇の御位を象徴する三種の神器の一つ、アメノムラクモノミツルギ(草薙のツルギ)です。
天皇存在を戴く日本列島に生まれたことを有り難く感じるのではありませんか。

今年は我が一族(黄氏)の族譜の改訂の歳である。
前回の改訂は25年前で、一世代に一度の改訂を繰り返している。

その間に随分と新たな子孫たちが増えた。
それをまとめて韓国の本家筋へ送る。

今回は男の子だけではなく、女の子も記載するという編集方針だとか。
ただその女の子がお嫁に行って子供を産んだ場合は、その子供は黄氏の族譜には入れない。

その子供はお嫁にいった家のこどもだから当然だ。
つまり黄氏の精(せい)を承けているものだけが族譜に載る訳である。

精については、この日記の「火継祭り1~3」を参照されたい。

* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(1)
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(2)
* 火継ぎ(ほつぎ)祭り(3)

「おかき」とは「お・欠き餅」のこと。元来、鏡餅を欠いて食べたことから「おかき」と呼ばれるようになった。新年にお供えした鏡餅に大年の神様の神気を籠もらせていただき、鏡開きでそれを欠いて乾かしておく。

【参考】昌原筆録【8】鏡開きのウソ・ホント(鏡の真義)

 バレンタインには、そのおかきを油で揚げて、スルメでも添えて男性にプレゼントする。これこそ日本的バレンタインデーではないか。甘いチョコが口の中で溶けてしまうより、年魂(としたま)の神気の籠もったおかきをよく噛んでよく噛んで、スルメと一緒によく噛めば、男たちの顎の力も強まって唾液が身体を潤し考え方もしっかりしてくる。
 女性たちよ、バレンタインの義理チョコはもう止めようよ。代わって、義理おかき、義理スルメにしましょうよ。

(2年前の日記記事をここに再現します。)
 今日(2/14)はバレンタインデー。
この日に女性が男性にチョコレートを贈るということを百貨店とチョコレート業界が宣伝し始めて、それが広く定着したのは昭和50年代の頃とか。
勿論、日本特有の現象である。

 世の女性方に申し上げたい。
義理チョコ山ほどもらってもあまりうれしくないんだよねえ。
(パソコンで「ぎりちょこ」と入力して変換を掛けると一発で「義理チョコ」が出てきた。イヤな世の中だねえ。)

今年(平成16年)は国際コメ年とかで、お米を食べて日本農業を支えようという年。
義理チョコならぬ義理おかきをもらった方がよっぽど嬉しく、身体にもよい。義理スルメを添えてくれたらなお嬉しい。

おかきをかじり、スルメをよく噛むと、脳のはたらきも良くなりあごの力も強くなる。
大体、今の若者は昔ほど堅い物を噛むということをやらず、柔らかい物ばかり食べているので、日本人のあごの形がますますやせ細って行く傾向にあるそうだ。

噛むということは脳の働きと大いに関係する。ファーストフードや添加物と砂糖のたっぷり入った柔らかなフードで身体がボロボロになっている若者に、追い打ち掛けてチョコレート攻めにする必要もなかろう。

 男性諸君よ、バレンタインにはおかきが欲しい、スルメが欲しいと声を挙げようではないか。

【参考】チョコよりも効果があるかも
      ↓   ↓   ↓   ↓
 神道と太陽の新時代【10】バレンタインに大穴牟遅大神を思う

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