「東一(あずまいち)」東洋一の酒造りを目指す-酒銘の多様性に日本文化の豊穣を見る

「東一(あずまいち)」東洋一の酒造りを目指す-佐賀県の酒-酒銘の多様性に日本文化の豊穣を見る

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「東一(あずまいち)」東洋一の酒造りを目指す(佐賀県の酒)

東一・佐賀県の日本酒・五町田酒造

酒銘: 東一(あずまいち)
蔵元: 五町田(ごちょうだ)酒造
     (佐賀県嬉野市塩田町)
創業: 大正11年(1922年)

この蔵元は、江戸時代から続く造り酒屋から分家して、日本一の酒造りを目指すという志を以て、「日本一」なる酒を造り出した。

ところが、米で酒を造るのは、日本に限らない。東洋諸国で米作りがおこなわれている。
そこで、日本一から更に広く、東洋一という意味を込めて「東一(あずまいち)」を世に出した。

その酒造りにかける心意気は、半端ではない。

なんと「東一(あずまいち)」の杜氏や蔵人たちは、自分たちで米を作り、その米で酒を造るという究極の地酒造りをしているのである。

五町田(ごちょうだ)酒造の酒造り人たちが、酒造好適米「山田錦」の栽培に挑み始めたのは、昭和63年(1988年)のことであった。
「山田錦」は茎が長く、強い風が吹くと倒れやすい。倒れると当然米の質が悪くなる。また、いもち病(稲熱病)にかかりやすいなど、普通の食用米より育てるのが難しい。
その上に、佐賀の土地は毎年台風の通り道のようになっている。この土地で、わざわざ茎の長い「山田錦」を育てようとは、普通の農家であれば、考えはしないであろう。

しかし、五町田酒造の杜氏・蔵人たちは、自分たちの酒は自分たちが育てた米で造るという決意を崩さなかった。
そのために、苦心惨憺、育苗法の工夫や、水や肥料の管理など、幾多の試行錯誤を重ね、ようやく佐賀の地で「山田錦」の安定した品質と収穫量を得るに至ったのである。

まことに「東一」の名に恥じぬ天晴れなる志というほかない。

自分たちが作った米は、自分たちが知り尽くしている。
その米を惜しげもなく精米し、塩田川の伏流水を使って洗米し、蒸籠(せいろ)で蒸す。
その蒸籠(せいろ)にもこだわりがある。素人考えでは、米を均一に蒸し上げるには、四角より丸形の蒸籠がよかろうと思いがちだが、実際には、丸形よりは四角が均一に蒸し上がるらしい。そこで彼らは自家製の四角の蒸籠(せいろ)を用いる米を蒸す。

蒸した米を冷ますのは、蔵人総出で行うのだが、温度計は使わない。杜氏の長年の経験でぴたりと適温に冷ますのである。

吟醸の蒸し米を冷ます作業は、男も女も蔵人総出で行います。
もうもうと湯気がたつ蒸したての米を手で切り返し、大うちわで
扇ぐ風景はなかなかノスタルジック。温度計は不要。
杜氏が長年の経験でぴたりと頃合いを見計らうからです。
五町田酒造HPより引用。)

蔵人たちは、酒の仕込みが終わると、来期の米作りの準備に入る。
米造りから酒造りまで、すべてのプロセスを、五町田酒造の杜氏・蔵人たちが一貫して行うのである。

それを思うと、この酒「東一」の一滴ひとしずくが、いとおしく思えてくる。

東一の雫搾り大吟醸と純米大吟醸

日本の米作りと酒造りが、一筋のあざなえる縄のように合体して、名酒「東一」を生み出しているのだ。

酒蔵のそばを流れる塩田川は、蛍の名所として知られ、近くには嬉野(うれしの)温泉もある。
温泉につかり、有明海の幸を肴に、「東一」で一献傾けながら、米作り人、酒造り人たちの心意気を想うがよろしかろう。

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Tag: 東一 佐賀県 日本酒 五町田酒造 山田錦杜氏蔵人塩田川  

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