[七ツ梅] 梅は七つ時(未明)にひときわ香る(兵庫県の日本酒)-酒銘の多様性に日本文化の豊穣を見る
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[七ツ梅] 梅は七つ時(未明)にひときわ香る(兵庫県の日本酒)

酒銘: 七ツ梅(ななつうめ)
蔵元: 浜福鶴銘醸
(兵庫県神戸市東灘区)
創業: 平成8年1月 (元禄七年)
日本酒は日本のもの造りの柱の一つである。その蔵元の創業は、江戸や明治の頃にまで遡れるのはざらにある。
「七ツ梅」は「剣菱」や「男山」と共に、江戸時代を代表する銘酒であった。
上の「七ツ梅」のラベルにも「元禄七年」と記してある。
ところが、「七ツ梅」の蔵元「浜福鶴銘醸」は平成8年の創業であるという。
これはどうしたことか。創業は元禄七年か平成8年か。
これには少し事情がある。
江戸は元禄七年、摂津の国伊丹(いたみ)の地に「七ツ梅」という銘酒が誕生した。
元禄七年とは、赤穂浪士の吉良邸討ち入りが元禄十五年だから、その八年前のことである。
当時は日本酒の主流は、甘口の濁り酒であった。そこへ、「七ツ梅」が辛口のスッキリとした旨みをもって登場すると、摂津から近畿はもちろん、江戸市中でも大いにもてはやされた。葛飾北斎の浮世絵にも、「七ツ梅」が描かれているとか。
また、天保年間には、江戸城大奥の御膳酒として愛飲された。
天保6年生まれの天璋院篤姫も、酒好きのこと故、この「七つ梅」を口にしたであろうと推測される。
時が移り、幕府の厳しい酒造統制や、ライバル灘酒の台頭もあって、伊丹の酒造業は次第に衰退していった。
「七ツ梅」の蔵元「木綿屋」も廃業の道をたどる。しかし、銘酒「七つ梅」を消滅させるのは忍びないとして、それ受け継ぐ蔵が現れた。先ず埼玉の田中藤左衛門商店がそれを受け継ぎ、最後に現在の「浜福鶴醸造」が正当な継承者として、様々な遺物とともに「七ツ梅」を引き継いだ。
酒銘というものは、その酒の歴史を背負っている。「七つ梅」の名乗りは、一種の文化遺産とも云うべきものと、酒造り人たちは考えたのである。
酒造り人たちの努力によって、江戸以来の銘酒「七ツ梅」が継承されたのは、まことに有り難い。
それは「七ツ梅」の酒徳のなせる業でもあったと云えるであろう。
酒銘の由来は、「七ツ時の梅」にある。
寒中に花開く梅は、七ツ時つまり午前四時ごろが、ひときわ香りが立ち上る。
古歌にも次のように「七つ梅」が謡われている。
おく深く谷間に咲けど七ツ梅、香りは広く世にぞしらるる
江戸期以前の日本人が、梅の花と梅の香りに寄せる思いは、今とは比較にならぬほど深いものがあったであろう。
その感性が、「七ツ時の梅」が、ひとしお香りが高いと認識していたのである。
端正なる味わいが雅びなる酒銘と相俟(ま)って、江戸の文人達にも大いに愛飲されたことであろう。
大奥の女性たちも、この「七ツ梅」をその酒銘とともに深く味わったことであろう。
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