「冨の寿」 仙人の不老不死のくすりなれ(福岡県の日本酒)-酒銘の多様性に日本文化の豊穣を見る
トップ > 休嘉宝(日本文化は日本酒にあり) > 「冨の寿」 仙人の不老不死のくすりなれ(福岡県の日本酒)
「冨の寿」 仙人の不老不死のくすりなれ(福岡県の日本酒)

酒銘:冨の寿(とみのことぶき)
蔵元:花の露(富安から移譲)(福岡県久留米市)
創業:寛政2年(1790年)
蔵元の地、福岡久留米は、筑後一宮の高良(こうら)大社のある所。
もと、高良大社の御神酒を納めていた歴史を持つ。
筑後川の南にそびえる高良山(こうらさん)の麓で、筑後平野の米と耳納(みみのう)山系からの伏流水に恵まれて、「冨の寿」は造られる。
清酒「冨の寿」(とみのことぶき)の酒銘には、幕末の「七卿落ち(しちきょうおち)」が関わっている。
文久3年(1863年)、三条 実美(さねとみ)ら尊皇攘夷派の七人の公家たちが、薩摩・会津の公武合体派に破れて、都から落ち延び長州へ逃れた。
さらに、うち五卿は、第一次長州征伐で、筑前太宰府に移された。
その中の一人、東久世 通禧(ひがしくぜ みちとみ)が、この蔵に立ち寄り、酒のうまみに感じ入って、一首を残している。
仙人の不老不死のくすりなれ この家(や)の酒は 冨の寿
ここから、「冨の寿」の酒銘が生まれた。
冨とは、人生の豊かさ。コトブキは、言祝ぐ(ことほぐ)こと。
「冨の寿」と名付けることによって、その酒は、「冨の寿」としての働きを発揮するようになる。つまり、長寿をもたらす力を発揮するようになる。
事実、清酒「冨の寿」を「仙人の不老不死のくすり」として愛した東久世 通禧(ひがしくぜ みちとみ)は、78才まで長生きしている。
この78才という年齢を、同じ「七卿落ち(しちきょうおち)」の境遇を共に経験した公家たちの没時の年齢を調べてみよう。(年齢は満年齢)
・三条 実美(さねとみ) 53才
・三条西 季知(すえとも) 69才
・四条 隆謌(たかうた) 70才
・壬生 基修(もとおさ) 71才
・錦小路 頼徳(よりのり) 29才
・澤 宣嘉(のぶよし) 36才
そして、「冨の寿」の名付け親は、堂々の一位。
・東久世 通禧(みちとみ) 78才
やはり、東久世通禧が七卿の中で一番長生きできたのは、「冨の寿」のおかげではなかろうか。
いや、世の酒呑みたちのために云うならば、「冨の寿」のおかげ以外の何物でもない。絶対、そーだあーっ! 呵々(あはは)。
東久世卿が「冨の寿」のおかげで長寿を得たというのは、都を追われた東久世卿の幽居のわびしさを、この酒が大いに慰めてくれたということであろう。
まことに酒は心の友ではないか。ほどほどの飲酒が健康を増進することは間違いなかろうと思う。ただし、「ほどほど」が問題ではある。
この「冨の寿」の蔵元「冨安合名会社」は業績不振から2009年に破産手続きをすることになったが、銘酒「冨の寿」は、2010年春以降は地元の蔵元「花の露」の手によって発売されることに落ち着いた。
株式会社「花の露」は、旧名が冨安本家酒造(株)であったことからも分かるように、「冨の寿」の旧蔵元「冨安合名会社」とは江戸の昔から本家分家の関係である。分家の酒銘「冨の寿」を絶やしてはならじと本家が手を差し出したのである。
2011年春現在、清酒「冨の寿」の復活はまだ見られない。わずかに同社が出している焼酎に「冨の寿」を冠しているのみである。
「花の露」に電話で確かめた所、いずれ清酒「冨の寿」を復興させる腹づもりはあるとのことであった。
「七ツ梅」の酒銘も似たような経緯を辿って今日に至っていることは、「七ツ梅」の記事で述べた。世相の変転の中で、伝統ある酒銘を守り続けるというのは、なかなかに大変であろうと思われる。せめて、歴史ある酒銘を何とか保存したいという酒造り人たちの努力には拍手を送り、「冨の寿」復活デビューの日を待つことにする。
![]()


